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Posted by 滋賀咲くブログ at

2014年11月28日

心の宝

何兆晋 (がちょうしん) の心の田畑はとても広大である。
まさに子が種をまき、 孫が耕すごとく、心の宝である・・・。
名称の由来は 【心田庵記】 に記された文にあるようですiconN37face01icon12
江戸中期に築かれた由緒ある日本庭園と茅葺の建物 【心田庵】 の紅葉を
一般公開されている間にと思い、早速に見て参りましたicon12face06icon12


祝日に行ったので、狭い敷地には家族連れなどがいっぱいで。。。
でも紅葉のタイミングとしては、まずまずだったかなiconN36face02iconN07
何しろ一般公開されるのが、春と秋の年2回しか入るチャンスがないんですよねぇ~。
しかし長崎市内にも、このような和を感じられる静寂の庵があったんですね・・・。


この庵の家主は、何 兆晋という唐通事だった人物らしく。。。
広大な屋敷は別にあったそうで、心田庵は別荘だったと伝わっています。
狭いと感じるこの別荘でも、約530坪ほどはあるみたいiconN37face02icon11
茶室を取り入れた住宅様式の数寄屋造りと呼ばれ、敷地の半分以上が
庭園になっている感じだから 確かに贅沢ですよねicon23face07icon11


梅を愛し、七弦琴を善くした兆晋は、号を 「心声子」 という風流人だったそうです。
ここ心田庵で風雅な生活を17年ほど送って 60歳を前にこの世を去ったガチョウシン
当時は文化度の高い中国へ憧れを抱いていた長崎の町には
6万人に及ぶ町民のうち、実に1万人が中国人だったそうですよiconN37face08icon10
その頃の長崎の人々にとって、ことのほか身近である中国人、中国文化への
憧れは強く、次々に長崎の文化に取り入れられていった時代だったのでしょうね・・・。


テーブルに映る紅葉が、まだ若い漆器に浮かぶ椛のよう。。。
場所は諏訪神社から歩いても10分くらいで、バス通りから細い路地へと入ると
住宅街が広がっていて、すれ違うのがやっとこさって感じの狭い道幅は
間違いなく昔のまんまなんでしょうね・・・。
またそれが 迷路っぽく感じられて道中のテンションが上がるってもんですよOKface10icon14


高くまで巧妙に積まれた石垣が見えて来て、その石垣の終わりを回り込むと
風情ある石段の上に茅門が立ちはだかり、そこに静寂さのみが満ち溢れています。
長崎の和を見付けたという喜びでいっぱいのmomiji 紅葉狩りでしたiconN36face08iconN32


   


Posted by おてきち at 17:35 Comments( 4 ) 建造物