立春といえば、やはりこの日から改めて新年が始まるぞ!!
といった気持ちになりますね


旧暦では季節の節目の行事は全て、この立春を起点に決められている
ワケですからねぇ~、ということで、いつもより1日早い立春を迎えた中
今朝は寒かったけど春の足音を聴きがてら。。。
初詣を兼ねて、毎年恒例のお詣りコースへと出掛けて来ました



まずは、梅が咲いているかを確認するため【松森天満宮】へ立ち寄りました
やはり今年の干支である丑が奉ってある天満宮は、大人気と見えて
朝から参拝者がチラホラおられましたが、皆さんカメラを持っての入場でしたね(笑)
梅&丑とのコラボ写真を撮りに見えている様子でした

おてきちはツバキの美しさに魅せられて、藪の奥地へと入り込んで上ばかり
見ながら張り切って撮っていたら・・・

な、な、なんとッ!!新年最初から「ウン」を踏みつけてしまったじょ


いきなり撃沈してしまいましたが、物は考えようです!!
おてきちは前向きに捉える手段しか知らない人間なので。。。
よし、これは運が上昇する傾向にあるから、思うがままに行動せよ


とまぁ~、このような意味合いを持ってのウンつき(踏み)だったのだろうし
気を取り直して、お次に向かう先は【西山神社】へ、レッツゴー



ここは結構な階段の数でして・・・
今年こそは何段あるかを数えよう!!と思っていたのに、運動不足が祟ったのか
スッカリ忘れてしまっている内に、階段を上り詰めた目の前に見えて来た「元日桜」
これまでの疲れも吹っ飛び、今日は天気が良かったので絶好の桜日和でしたよ


いわゆる寒桜ですが、2月上旬つまり旧暦の元日頃に開花することから
西山神社では「元日桜」と呼ばれています


寒桜&メジロのコラボ写真を撮ろうと、カメラを持った老若男女のギャラリーが
階段沿いには入れ代わり立ち代わりおられて、おてきちも寒桜を撮ろうと
カメラを向けたら、いきなりメジロがレンズの中に写り込んだものだからビックリ!!
それだけ多くのメジロが、この1番桜の密を求めて山から飛んで来ているようですね


それにしても確かに映えるわ(笑)
マスクをしていたせいなのか、花の香りはあまり感じなかったなぁ



寒い冬も終わったのか。。。と思わされる春の色ですな


その向こうに見えている、彦山の稜線が何とも美しいですねぇ~。
これでウグイスの初音でも聴けたら、一句詠みたくなるでしょうな


そうなると・・・花見団子も欲しいカモ


梅にウグイスなら、こちらは寒桜にメジロ


よく見ていると、どうも2羽で追いかけ合うようにしながら飛んでいるようです。
早春の空に、鮮やかな黄緑色の羽が眩しすぎます



皆さん、連写で撮っておられるようでしたが。。。
しかも望遠レンズのついた重そうなカメラばかり

おてきちは相変わらずデジカメでの1枚ずつ撮りで、ナイスショットを狙います(笑)
技を駆使するというよりは、それこそ運任せといった具合かな



その割にはよく撮れたと自画自賛(笑)
で、よく見ると・・・左足首のところにオレンジ色をしたリングがハマっているのに
気が付いたのですが、これって伝書鳩?いや、伝書メジロ!?
それとも何かの研究?メジロに飼い主はいないハズだけど。。。
うぅ~ん、気になるなぁ~




といった気持ちになりますね



旧暦では季節の節目の行事は全て、この立春を起点に決められている
ワケですからねぇ~、ということで、いつもより1日早い立春を迎えた中
今朝は寒かったけど春の足音を聴きがてら。。。
初詣を兼ねて、毎年恒例のお詣りコースへと出掛けて来ました



まずは、梅が咲いているかを確認するため【松森天満宮】へ立ち寄りました

やはり今年の干支である丑が奉ってある天満宮は、大人気と見えて
朝から参拝者がチラホラおられましたが、皆さんカメラを持っての入場でしたね(笑)
梅&丑とのコラボ写真を撮りに見えている様子でした


おてきちはツバキの美しさに魅せられて、藪の奥地へと入り込んで上ばかり
見ながら張り切って撮っていたら・・・
な、な、なんとッ!!新年最初から「ウン」を踏みつけてしまったじょ



いきなり撃沈してしまいましたが、物は考えようです!!
おてきちは前向きに捉える手段しか知らない人間なので。。。
よし、これは運が上昇する傾向にあるから、思うがままに行動せよ



とまぁ~、このような意味合いを持ってのウンつき(踏み)だったのだろうし
気を取り直して、お次に向かう先は【西山神社】へ、レッツゴー



ここは結構な階段の数でして・・・
今年こそは何段あるかを数えよう!!と思っていたのに、運動不足が祟ったのか
スッカリ忘れてしまっている内に、階段を上り詰めた目の前に見えて来た「元日桜」
これまでの疲れも吹っ飛び、今日は天気が良かったので絶好の桜日和でしたよ



いわゆる寒桜ですが、2月上旬つまり旧暦の元日頃に開花することから
西山神社では「元日桜」と呼ばれています


寒桜&メジロのコラボ写真を撮ろうと、カメラを持った老若男女のギャラリーが
階段沿いには入れ代わり立ち代わりおられて、おてきちも寒桜を撮ろうと
カメラを向けたら、いきなりメジロがレンズの中に写り込んだものだからビックリ!!
それだけ多くのメジロが、この1番桜の密を求めて山から飛んで来ているようですね



それにしても確かに映えるわ(笑)
マスクをしていたせいなのか、花の香りはあまり感じなかったなぁ



寒い冬も終わったのか。。。と思わされる春の色ですな



その向こうに見えている、彦山の稜線が何とも美しいですねぇ~。
これでウグイスの初音でも聴けたら、一句詠みたくなるでしょうな



そうなると・・・花見団子も欲しいカモ


梅にウグイスなら、こちらは寒桜にメジロ



よく見ていると、どうも2羽で追いかけ合うようにしながら飛んでいるようです。
早春の空に、鮮やかな黄緑色の羽が眩しすぎます



皆さん、連写で撮っておられるようでしたが。。。
しかも望遠レンズのついた重そうなカメラばかり


おてきちは相変わらずデジカメでの1枚ずつ撮りで、ナイスショットを狙います(笑)
技を駆使するというよりは、それこそ運任せといった具合かな



その割にはよく撮れたと自画自賛(笑)
で、よく見ると・・・左足首のところにオレンジ色をしたリングがハマっているのに
気が付いたのですが、これって伝書鳩?いや、伝書メジロ!?
それとも何かの研究?メジロに飼い主はいないハズだけど。。。
うぅ~ん、気になるなぁ~




去年、毎月5日にお詣りしていた「中川八幡神社」を1年間通して踏破満了したので
今年は新たに【宮地嶽八幡神社】へお詣りすることに決めました


ここはブログに何度かアップしたことのある、磁器製鳥居のある神社になります。
それこそ昨日は、それほど寒くなかったので良かったのですが。。。
今日は気温もグッと下がって、いきなりの極寒となり暖房が利いてない感じです



昨日は9時過ぎ頃に御朱印をもらいがてら、宮地嶽さんに行ったところ
いつもは留守がちな神社なのですが、チャイムを鳴らすとお出でになったので
御朱印をお願い致します

と伝え、出て見えたかと思えば多くの資料を抱えて
神社の歴史を説明して頂くこと約1時間半!!
熱心すぎる宮司さんの話を途中で打ち切る勇気がなく、本殿前での立ち話は続きました(笑)

以前にも一度、同じような内容の話は聞いていたのですが。。。
やはりおてきちが関西弁のため、観光で見えた方だと思われたのでしょうね


ここでも断り切れず、延々と、それこそ流暢な長崎弁で講談師並みの解説を聞くのも
そう悪くないか、と思う部分もどこかにあって・・・
宮司さんのご先祖さんが、どういう想いでこの神社を守って来られたかなど
様々な経緯を聞いていたワケですよ(笑)

おてきちが聞きたかったのは、なぜこちらの神社に磁器製の鳥居が奉納されているのか


ただこの事のみが知りたかったので、説明の間に何度となく質問を挟ませてもらったところ
分かった事は、3代目が佐賀から見えたご養子さんだったらしく。。。
神主になるまでは医者をされていたそうです

その3代目が諏訪神社で修業を積んで、宮地嶽八幡神社を守って行くにあたり色んな
エピソードがあったようですが、とにかく他所にはないようなモノを築かなければならない!!
という思いから、磁器製の鳥居に至った?とまぁ~簡潔にいうと、そんなところですかね



宮司さんから説明を受けている間に、御守りや御札を買いに見えたご婦人や参拝に見えた
長老ふうの翁?など、おてきちがカウントしただけでも10名以上はおられましたね


一応、毎月お詣りするツモリなので・・・
聞いた話はボチボチ小出しにしながら書いて行こうかな(笑)
御朱印をもらうにも、体力&根性が必要だということを改めて実感した初詣でした

今年は新たに【宮地嶽八幡神社】へお詣りすることに決めました



ここはブログに何度かアップしたことのある、磁器製鳥居のある神社になります。
それこそ昨日は、それほど寒くなかったので良かったのですが。。。
今日は気温もグッと下がって、いきなりの極寒となり暖房が利いてない感じです



昨日は9時過ぎ頃に御朱印をもらいがてら、宮地嶽さんに行ったところ
いつもは留守がちな神社なのですが、チャイムを鳴らすとお出でになったので
御朱印をお願い致します



神社の歴史を説明して頂くこと約1時間半!!
熱心すぎる宮司さんの話を途中で打ち切る勇気がなく、本殿前での立ち話は続きました(笑)
以前にも一度、同じような内容の話は聞いていたのですが。。。
やはりおてきちが関西弁のため、観光で見えた方だと思われたのでしょうね



ここでも断り切れず、延々と、それこそ流暢な長崎弁で講談師並みの解説を聞くのも
そう悪くないか、と思う部分もどこかにあって・・・
宮司さんのご先祖さんが、どういう想いでこの神社を守って来られたかなど
様々な経緯を聞いていたワケですよ(笑)
おてきちが聞きたかったのは、なぜこちらの神社に磁器製の鳥居が奉納されているのか



ただこの事のみが知りたかったので、説明の間に何度となく質問を挟ませてもらったところ
分かった事は、3代目が佐賀から見えたご養子さんだったらしく。。。
神主になるまでは医者をされていたそうです


その3代目が諏訪神社で修業を積んで、宮地嶽八幡神社を守って行くにあたり色んな
エピソードがあったようですが、とにかく他所にはないようなモノを築かなければならない!!
という思いから、磁器製の鳥居に至った?とまぁ~簡潔にいうと、そんなところですかね



宮司さんから説明を受けている間に、御守りや御札を買いに見えたご婦人や参拝に見えた
長老ふうの翁?など、おてきちがカウントしただけでも10名以上はおられましたね



一応、毎月お詣りするツモリなので・・・
聞いた話はボチボチ小出しにしながら書いて行こうかな(笑)
御朱印をもらうにも、体力&根性が必要だということを改めて実感した初詣でした

佐嘉神社境内には、神様の得意分野ごとに分けられ祀られているようで。。。
全部で敷地内に8社あるみたいですが、とにかく目指すのは【松原神社】です


こちらにも白磁製の見事な燈籠がありましたよ!!
平戸、三川内焼きのような細工モノの龍が巻き付いていて素晴らしいです



基礎台には1850(寛永三)年8月、有田内皿山と記されているみたいですが
気付きませんでしたね


それにしてもあまりにキレイ・・・と思い説明版を読むと
どうも2004(平成16)年、8月に有田の岩尾磁器会社の手によって
修理・保護のためここに移した。と書いてありました


ということは、もとはどこにあった燈籠なんでしょうね?ちょっとだけ気になります(笑)
松原神社には、藩祖である鍋島直茂命、初代藩主・鍋島勝茂命(息子さん)
また龍造寺隆信命が祀られています。
直茂公は「日峯さん」と呼ばれ親しまれているそうですが。。。
日峯とは、直茂公の戒名なんだそうですね



しかし考えてみれば不思議ですよね・・・戒名で呼ばれるなんて(笑)
秀吉の太閤さんは戒名ではないしね(笑)
「鍋島化け猫騒動」という忠誠心を重んじた上での、仁義なき戦いの末の跡目争いというか
昔っからこういう派閥は根強かったワケで、関ヶ原の戦いの後より風向きが変わり
トップが変われば、これまでと同じようには行かなくなるのが世の常で。。。

直茂公の父親(清房)は鍋島家の5代当主で、龍造寺家の家臣でもあったワケですよ。
そして母親は龍造寺家純の娘だったから、龍造寺隆信と鍋島直茂公にとって家純は
祖父にあたる存在になるから、2人の関係性としては義兄弟になるんでしょうね



最初の頃は、2人は仲が良く隆信と並んで「龍造寺の仁王門」と称されたそうですが
晩年になってからの隆信は、酒色に溺れるようになったらしく。。。
直茂公は徐々に、隆信とは距離を置くような関係性になっていったようですね


また逸話のエピソードには、大村純忠攻めの時、自分チームの先陣が討ち負ける
様子をただ静観し続けていたとかで、それを隆信から早よ助けに行かんかいッ!!と
どやされてから、ようやく助勢に加わるといったようなコスイ真似をしているみたい(笑)
頭がイイのか、もしくはヘタレなのか・・・
いつまでも龍造寺家に遠慮して?仕えることに、少々嫌気が差していたのでしょうかね


そのような2人と直茂公の息子さんが、この松原神社には祀られているようです。
ちなみにこの息子さんが、鍋島家の初代藩主となった人物なんですけどね


太閤さんは、龍造寺家の当主であった龍造寺高房よりも直茂公の能力を
高く買っていたらしく、その証じゃないけど秀吉の朝鮮出兵の時の総大将は
高房ではなく直茂公であったことからも、そういう思いが想像できなくもない



秀吉の命によって朝鮮出兵した直茂公は、多数の朝鮮の人々を伴い帰還したワケですが
その中に「李參平」という陶工もいたんですねぇ~


もしかして自らが面接というか、この人の技術は日本の未来に絶対必要だ!!
とかって厳選されたのでしょうかね!?
細かいことが気になります(笑)
何にせよ、日峯さんには感謝の限りですね



全部で敷地内に8社あるみたいですが、とにかく目指すのは【松原神社】です



こちらにも白磁製の見事な燈籠がありましたよ!!
平戸、三川内焼きのような細工モノの龍が巻き付いていて素晴らしいです



基礎台には1850(寛永三)年8月、有田内皿山と記されているみたいですが
気付きませんでしたね



それにしてもあまりにキレイ・・・と思い説明版を読むと
どうも2004(平成16)年、8月に有田の岩尾磁器会社の手によって
修理・保護のためここに移した。と書いてありました


ということは、もとはどこにあった燈籠なんでしょうね?ちょっとだけ気になります(笑)
松原神社には、藩祖である鍋島直茂命、初代藩主・鍋島勝茂命(息子さん)
また龍造寺隆信命が祀られています。
直茂公は「日峯さん」と呼ばれ親しまれているそうですが。。。
日峯とは、直茂公の戒名なんだそうですね



しかし考えてみれば不思議ですよね・・・戒名で呼ばれるなんて(笑)
秀吉の太閤さんは戒名ではないしね(笑)
「鍋島化け猫騒動」という忠誠心を重んじた上での、仁義なき戦いの末の跡目争いというか
昔っからこういう派閥は根強かったワケで、関ヶ原の戦いの後より風向きが変わり
トップが変われば、これまでと同じようには行かなくなるのが世の常で。。。
直茂公の父親(清房)は鍋島家の5代当主で、龍造寺家の家臣でもあったワケですよ。
そして母親は龍造寺家純の娘だったから、龍造寺隆信と鍋島直茂公にとって家純は
祖父にあたる存在になるから、2人の関係性としては義兄弟になるんでしょうね



最初の頃は、2人は仲が良く隆信と並んで「龍造寺の仁王門」と称されたそうですが
晩年になってからの隆信は、酒色に溺れるようになったらしく。。。
直茂公は徐々に、隆信とは距離を置くような関係性になっていったようですね


また逸話のエピソードには、大村純忠攻めの時、自分チームの先陣が討ち負ける
様子をただ静観し続けていたとかで、それを隆信から早よ助けに行かんかいッ!!と
どやされてから、ようやく助勢に加わるといったようなコスイ真似をしているみたい(笑)
頭がイイのか、もしくはヘタレなのか・・・
いつまでも龍造寺家に遠慮して?仕えることに、少々嫌気が差していたのでしょうかね


そのような2人と直茂公の息子さんが、この松原神社には祀られているようです。
ちなみにこの息子さんが、鍋島家の初代藩主となった人物なんですけどね



太閤さんは、龍造寺家の当主であった龍造寺高房よりも直茂公の能力を
高く買っていたらしく、その証じゃないけど秀吉の朝鮮出兵の時の総大将は
高房ではなく直茂公であったことからも、そういう思いが想像できなくもない



秀吉の命によって朝鮮出兵した直茂公は、多数の朝鮮の人々を伴い帰還したワケですが
その中に「李參平」という陶工もいたんですねぇ~



もしかして自らが面接というか、この人の技術は日本の未来に絶対必要だ!!
とかって厳選されたのでしょうかね!?
細かいことが気になります(笑)
何にせよ、日峯さんには感謝の限りですね



これで肥前に存在する白磁製の鳥居、すべて制覇することが叶いました


家から歩いてでも行ける、ロクも一緒に行った長崎市にある【宮地嶽八幡神社】
それと有田にある【陶山神社】、ここにもロクと一緒に行きました




そして3本目が、ここ佐嘉神社の敷地内に建つ【松原神社】の鳥居には
ロクと一緒に見ることは叶いませんでしたが・・・
おてきちの目的はこれで果たすことが出来ました



そしてこれらの3本ともに、共通して製造人が岩尾久吉
角物細工人が金ケ江長作、丸物細工人は峰熊一でしたね!!感動です


明治に建てられたようですが。。。こんなにボロボロになって
でも3本の中で屋根が設けられているのは、松原神社だけですね(笑)
社殿は少し離れた場所にあるのですが、鳥居だけこちらに移設された?のかな



大きな地震でも来たら、熊本城じゃないけど耐震補強がされていないような
古い建造物は間違いなく、倒壊を免れないワケですからね・・・。
なので、現役のうちに?見ることが出来て本当に大満足です


そしてこの松原神社の鳥居が、全体的に見ても1番美しい状態でしたね。

そういえば有田の「陶山神社」の磁器製鳥居ですが、明治21年に奉納されたモノで
やはり長い年月の風化によって、ひび割れや部分的に欠けていた部分が目立っていたのか
その修復作業が今年2020年、1月より行われていたようで・・・
その作業も終わり、建立当時の美しい磁器製鳥居の姿に戻ったと書いてありましたが


良かった・・・それこそ古い時代が感じられるボロッちいままの鳥居の姿を
見ることができて


こういうのは真新しいからイイってもんじゃなかばい!!
でも長期に渡って保存することを考えると、致し方ないのはよく分かる


それこそ陶山神社にも何度か行ったけど、その度に境内が何かしらキレイに
整備されていて、嬉しいというよりはどことなく淋しい気持ちの方を
強く抱いたのを思い出しますね・・・。

ボロボロもヤバイけど。。。ニュータイプに生まれ変わってしまうのも何かツライ


この複雑な心境を抱かせるほどに、他には滅多にない貴重な磁器製鳥居の魅力が
おてきちをそこまで悩ませるのだと・・・このツルツルとした滑らかな肌触り


とってもステキですぜ(笑)

鳥居の正面から見ると、背景に見えるのは「松原の大楠」
樹齢620年といわれるその古木は、佐賀県の銘木にも指定されているそうです。
確かにデッカかったと思うけど・・・
何しろ鳥居にばかり意識が集中していたもんだから、落ち着きを失くしており
夕日をうまく取り込んだ撮り方を模索していて、ついつい600年モノの大楠の
パワーを貰うのを忘れてしまった



また鳥居の背後から見ると、洋風建築のようなオシャレな建物が見えますが。。。
こちらはどうもトイレみたいで、そしてこの写真は貴重な古写真となるハズ(笑)
というのも、老朽化のため来年8月までに撤去される予定だと今年の6月くらいの
佐賀新聞の記事に掲載されていたのが、こちらの建物なんですね


鳥居の写真を撮ってから、あとでトイレにも行こうと思いながら時間がなかったので
バタバタしていて結局、違う別のトイレに入ってしまった



なかなかトイレとしてはオシャレな建物なのに・・・残念です。
このすぐ近くには【徴古館】という、鍋島家に伝来した品々が展示されている
歴史博物館があったのですが、この日は展示替えのため休館で入れず仕舞い。
でもいつの日かここも必ずや!!訪れたい場所のひとつですね


明日も続きます





家から歩いてでも行ける、ロクも一緒に行った長崎市にある【宮地嶽八幡神社】
それと有田にある【陶山神社】、ここにもロクと一緒に行きました





そして3本目が、ここ佐嘉神社の敷地内に建つ【松原神社】の鳥居には
ロクと一緒に見ることは叶いませんでしたが・・・
おてきちの目的はこれで果たすことが出来ました



そしてこれらの3本ともに、共通して製造人が岩尾久吉
角物細工人が金ケ江長作、丸物細工人は峰熊一でしたね!!感動です



明治に建てられたようですが。。。こんなにボロボロになって

でも3本の中で屋根が設けられているのは、松原神社だけですね(笑)
社殿は少し離れた場所にあるのですが、鳥居だけこちらに移設された?のかな



大きな地震でも来たら、熊本城じゃないけど耐震補強がされていないような
古い建造物は間違いなく、倒壊を免れないワケですからね・・・。
なので、現役のうちに?見ることが出来て本当に大満足です



そしてこの松原神社の鳥居が、全体的に見ても1番美しい状態でしたね。
そういえば有田の「陶山神社」の磁器製鳥居ですが、明治21年に奉納されたモノで
やはり長い年月の風化によって、ひび割れや部分的に欠けていた部分が目立っていたのか
その修復作業が今年2020年、1月より行われていたようで・・・
その作業も終わり、建立当時の美しい磁器製鳥居の姿に戻ったと書いてありましたが


良かった・・・それこそ古い時代が感じられるボロッちいままの鳥居の姿を
見ることができて



こういうのは真新しいからイイってもんじゃなかばい!!
でも長期に渡って保存することを考えると、致し方ないのはよく分かる



それこそ陶山神社にも何度か行ったけど、その度に境内が何かしらキレイに
整備されていて、嬉しいというよりはどことなく淋しい気持ちの方を
強く抱いたのを思い出しますね・・・。
ボロボロもヤバイけど。。。ニュータイプに生まれ変わってしまうのも何かツライ



この複雑な心境を抱かせるほどに、他には滅多にない貴重な磁器製鳥居の魅力が
おてきちをそこまで悩ませるのだと・・・このツルツルとした滑らかな肌触り



とってもステキですぜ(笑)
鳥居の正面から見ると、背景に見えるのは「松原の大楠」
樹齢620年といわれるその古木は、佐賀県の銘木にも指定されているそうです。
確かにデッカかったと思うけど・・・
何しろ鳥居にばかり意識が集中していたもんだから、落ち着きを失くしており
夕日をうまく取り込んだ撮り方を模索していて、ついつい600年モノの大楠の
パワーを貰うのを忘れてしまった



また鳥居の背後から見ると、洋風建築のようなオシャレな建物が見えますが。。。
こちらはどうもトイレみたいで、そしてこの写真は貴重な古写真となるハズ(笑)
というのも、老朽化のため来年8月までに撤去される予定だと今年の6月くらいの
佐賀新聞の記事に掲載されていたのが、こちらの建物なんですね



鳥居の写真を撮ってから、あとでトイレにも行こうと思いながら時間がなかったので
バタバタしていて結局、違う別のトイレに入ってしまった



なかなかトイレとしてはオシャレな建物なのに・・・残念です。
このすぐ近くには【徴古館】という、鍋島家に伝来した品々が展示されている
歴史博物館があったのですが、この日は展示替えのため休館で入れず仕舞い。
でもいつの日かここも必ずや!!訪れたい場所のひとつですね



明日も続きます


太宰府を後に、高速を途中下車して寄り道したいところがあって。。。
吉野ヶ里遺跡の看板を横目に、佐賀駅や県庁のある中心部に鎮座する
【佐嘉神社】へとやって参りました


どんだけ神社が好きやねん!!と思われそうですが(笑)
来ないワケには行かない、とても重要な場所なのです。

大鳥居のすぐそばに展示されていたのは、復元モノではありますが「カノン砲」
と呼ばれている鉄製の大砲がありました。
佐嘉神社に祀られているのは、名君といわれた十代藩主・鍋島直正公と
十一代藩主・直大公になります。
直政公は、日本で最初の洋式反射炉を設け近代大砲の鋳造に成功された藩主です


説明版によると。。。
佐賀藩は1642(寛永19)年から、長崎港の警備にあたっていたが
1804(文化元)年、露国使節レサノフの来航
1808(文化5)年イギリスの軍船「フェートン号」の長崎港侵入があり
長崎港の警備はそれ以来、緊迫した空気に包まれた。
鍋島直正が十代藩主につくと、これに対処するため長崎港台場の増設と
洋式大砲の設置を痛感し、1850(嘉永3)年、築地(今の日新小学校)に
反射炉を築き、日本で最初の鉄製大砲の鋳造に成功した


こういう工業というのか、専門的な分野における技術の高さとかはよく分かりませんが
先見の明があったというのは理解できますね


あと【佐賀の七賢人】と書かれた石碑?が大鳥居の横にありました。
鍋島直正公(肥前佐嘉・第十代藩主)
大隈重信 (総理大臣、早稲田大学創立者)
江藤新平 (司法卿参議)
佐野常民 (大蔵卿、農商務大臣、日本赤十字社創立者)
大木喬任 (司法相、文相)
島 義勇 (明治天皇侍従、判官)
副島種臣 (参議外務大臣)
~佐嘉神社HPより参照~

いわゆる新政府の重鎮メンバーということなんでしょうね。。。
おてきちは直正公&大隈重信氏くらいしか知らないかなぁ(笑)
そういえば日本で有数の大手菓子メーカーのお偉いさんは、佐賀出身って知ってました


例えば、近頃お世話になることも増えたサロンパスでお馴染みの久光製薬だったり・・・
江崎グリコの創業者・江崎利一や、森永製菓の創業者・森永太一郎も佐賀出身
というから、ちょっとビックリですよ


先人に恥じぬよう、努力を惜しまず積み重ねて成功を導く人間が多い県なんでしょうかね。
明日もコッテリブログは続きます(笑)

吉野ヶ里遺跡の看板を横目に、佐賀駅や県庁のある中心部に鎮座する
【佐嘉神社】へとやって参りました



どんだけ神社が好きやねん!!と思われそうですが(笑)
来ないワケには行かない、とても重要な場所なのです。
大鳥居のすぐそばに展示されていたのは、復元モノではありますが「カノン砲」
と呼ばれている鉄製の大砲がありました。
佐嘉神社に祀られているのは、名君といわれた十代藩主・鍋島直正公と
十一代藩主・直大公になります。
直政公は、日本で最初の洋式反射炉を設け近代大砲の鋳造に成功された藩主です


説明版によると。。。
佐賀藩は1642(寛永19)年から、長崎港の警備にあたっていたが
1804(文化元)年、露国使節レサノフの来航
1808(文化5)年イギリスの軍船「フェートン号」の長崎港侵入があり
長崎港の警備はそれ以来、緊迫した空気に包まれた。
鍋島直正が十代藩主につくと、これに対処するため長崎港台場の増設と
洋式大砲の設置を痛感し、1850(嘉永3)年、築地(今の日新小学校)に
反射炉を築き、日本で最初の鉄製大砲の鋳造に成功した


こういう工業というのか、専門的な分野における技術の高さとかはよく分かりませんが
先見の明があったというのは理解できますね



あと【佐賀の七賢人】と書かれた石碑?が大鳥居の横にありました。
鍋島直正公(肥前佐嘉・第十代藩主)
大隈重信 (総理大臣、早稲田大学創立者)
江藤新平 (司法卿参議)
佐野常民 (大蔵卿、農商務大臣、日本赤十字社創立者)
大木喬任 (司法相、文相)
島 義勇 (明治天皇侍従、判官)
副島種臣 (参議外務大臣)
~佐嘉神社HPより参照~
いわゆる新政府の重鎮メンバーということなんでしょうね。。。
おてきちは直正公&大隈重信氏くらいしか知らないかなぁ(笑)
そういえば日本で有数の大手菓子メーカーのお偉いさんは、佐賀出身って知ってました



例えば、近頃お世話になることも増えたサロンパスでお馴染みの久光製薬だったり・・・
江崎グリコの創業者・江崎利一や、森永製菓の創業者・森永太一郎も佐賀出身
というから、ちょっとビックリですよ



先人に恥じぬよう、努力を惜しまず積み重ねて成功を導く人間が多い県なんでしょうかね。
明日もコッテリブログは続きます(笑)