太宰府天満宮は遠い、遠いと思いつつ、飛梅の如くとうとう来てしまいました

行ったのが勤労感謝の祝日だったのと、七五三詣りに見えていた親子連れたちで
とにかくコロナ禍の中、想像を超える人だかりでビックリしましたよ


ソーシャルディスタンスはどこ吹く風
のような、太宰府天満宮に向かう
参道をテクテク歩きながら、早くも参拝前の土産物巡りです

梅ヶ枝餅は長崎で食べたことがあるから、本場は太宰府にも関わらずパス


そして以前から気になっていたのが【梅園】の「宝満山」ですね!!
昭和23年創業、太宰府天満宮御用達の和菓子店だそうです。
こちらの棹物が、文化人や茶人に愛されていたらしいんですよ


梅園の歴史も和菓子店としては、まだ若い方だとは思いますが。。。

松永耳庵、松本清張、川端康成、大佛次郎といった文人茶人をはじめ
吉田茂氏なども好んで食されていたそうですよ

松本清張氏は福岡を訪れるたびに、自ら店に足を運んで買っていたんだとか


見た目には淡雪でもなく、ういろうでもない感じの和菓子みたいですが。。。
卵色をした棹物を目の前にして、ここ1番買う勇気が出ずに写真だけで大満足(笑)

とにかく参道には梅ヶ枝餅を中心に、若者たちの長蛇の列が出来ていて。。。
スタバだってこんなにオシャレな建物でしたよ


人がいなくなるのを待っていても、なかなか撮れないので少なくなった瞬間を狙って

長崎も観光地だけど、これだけの旅行客の数を確保できないのはやはり偉大な
学問の神様が祀られていないから?なんでしょうかね(笑)

いつもは使わない重たい方のカメラまで持って来たけど。。。
これは建造物を思う存分、撮れるような環境に今日はないな・・・と潔く諦めて
本来の目的である、せめて丑年の年賀状用の写真だけでも撮れればイイか


と入口付近で向かう方角を確認していると「東風吹かば・・・」の歌碑を発見!!
これがそうなんかぁ~と別に歌人でもないおてきちが歌碑を見た所で思いの外、無反応(笑)

地図を見ると境内は広そうなので、とにかく本殿を目指して太鼓橋でも渡りますか


類まれなる才能の持ち主であった道真公は、幼少期の頃より漢詩にも優れ神童と
称されていたワケですが、それだけに出る杭打たれるじゃないけど。。。
政略による左遷などもあり、都から遠いこの地へと来ることになったのですが
飛梅伝説にある、神霊は空中を自由に飛び回り、人々の求めに応じて降臨する!!

どうにもロクの魂が空中を飛び回り、いつしかおてきちの元へと降臨する日が
訪れるやも知れぬ・・・と思うと、気持ちが落ち着かずにソワソワしてしまう程
今のおてきちの心境と飛梅伝説との関係性は、以前とは随分と意味合いが変わって
逢えるもんなら、もう一度、いや、もう二度、三度でも逢いたいんです




時折、このように情緒不安定になることもありますが・・・気にせずご容赦を!!

アカン・・・どこを切り取っても人が写り込む・・・。
早いとこ御朱印を貰って引き上げるとするかな


そういえば帰ってからHPで知ったのですが、天神さまがこよなく愛された梅の木の下で
「ひょうたん酒」を飲めば、不思議と難を免れるという伝承があるらしく。。。
厄除祈願を受けた方々には、特別なお札・お守り、また御神酒と「厄晴れひょうたん」が
貰えるそうなんですよ!!

厄はイヤですが、瓢箪とあらば聞き逃せないでしょ


この厄晴れひょうたんの中に、願い事を書いた用紙を納め、自宅の神棚や清浄な場所に
お祀りし、災難が降りかからないよう祈願するそうです

厄が晴れた暁には、お礼参りをしてから厄晴れひょうたんを本殿裏のひょうたん掛所へ
納めるみたいですが。。。コレって厄年でないと買えないのかな!?
チッ!!知ってたら、とりあえず瓢箪を買って帰ってたわ・・・残念


明日も続きます




行ったのが勤労感謝の祝日だったのと、七五三詣りに見えていた親子連れたちで
とにかくコロナ禍の中、想像を超える人だかりでビックリしましたよ



ソーシャルディスタンスはどこ吹く風

参道をテクテク歩きながら、早くも参拝前の土産物巡りです

梅ヶ枝餅は長崎で食べたことがあるから、本場は太宰府にも関わらずパス



そして以前から気になっていたのが【梅園】の「宝満山」ですね!!
昭和23年創業、太宰府天満宮御用達の和菓子店だそうです。
こちらの棹物が、文化人や茶人に愛されていたらしいんですよ



梅園の歴史も和菓子店としては、まだ若い方だとは思いますが。。。
松永耳庵、松本清張、川端康成、大佛次郎といった文人茶人をはじめ
吉田茂氏なども好んで食されていたそうですよ


松本清張氏は福岡を訪れるたびに、自ら店に足を運んで買っていたんだとか



見た目には淡雪でもなく、ういろうでもない感じの和菓子みたいですが。。。
卵色をした棹物を目の前にして、ここ1番買う勇気が出ずに写真だけで大満足(笑)
とにかく参道には梅ヶ枝餅を中心に、若者たちの長蛇の列が出来ていて。。。
スタバだってこんなにオシャレな建物でしたよ



人がいなくなるのを待っていても、なかなか撮れないので少なくなった瞬間を狙って


長崎も観光地だけど、これだけの旅行客の数を確保できないのはやはり偉大な
学問の神様が祀られていないから?なんでしょうかね(笑)
いつもは使わない重たい方のカメラまで持って来たけど。。。
これは建造物を思う存分、撮れるような環境に今日はないな・・・と潔く諦めて
本来の目的である、せめて丑年の年賀状用の写真だけでも撮れればイイか



と入口付近で向かう方角を確認していると「東風吹かば・・・」の歌碑を発見!!
これがそうなんかぁ~と別に歌人でもないおてきちが歌碑を見た所で思いの外、無反応(笑)
地図を見ると境内は広そうなので、とにかく本殿を目指して太鼓橋でも渡りますか



類まれなる才能の持ち主であった道真公は、幼少期の頃より漢詩にも優れ神童と
称されていたワケですが、それだけに出る杭打たれるじゃないけど。。。
政略による左遷などもあり、都から遠いこの地へと来ることになったのですが
飛梅伝説にある、神霊は空中を自由に飛び回り、人々の求めに応じて降臨する!!
どうにもロクの魂が空中を飛び回り、いつしかおてきちの元へと降臨する日が
訪れるやも知れぬ・・・と思うと、気持ちが落ち着かずにソワソワしてしまう程
今のおてきちの心境と飛梅伝説との関係性は、以前とは随分と意味合いが変わって
逢えるもんなら、もう一度、いや、もう二度、三度でも逢いたいんです





時折、このように情緒不安定になることもありますが・・・気にせずご容赦を!!
アカン・・・どこを切り取っても人が写り込む・・・。
早いとこ御朱印を貰って引き上げるとするかな



そういえば帰ってからHPで知ったのですが、天神さまがこよなく愛された梅の木の下で
「ひょうたん酒」を飲めば、不思議と難を免れるという伝承があるらしく。。。
厄除祈願を受けた方々には、特別なお札・お守り、また御神酒と「厄晴れひょうたん」が
貰えるそうなんですよ!!
厄はイヤですが、瓢箪とあらば聞き逃せないでしょ



この厄晴れひょうたんの中に、願い事を書いた用紙を納め、自宅の神棚や清浄な場所に
お祀りし、災難が降りかからないよう祈願するそうです


厄が晴れた暁には、お礼参りをしてから厄晴れひょうたんを本殿裏のひょうたん掛所へ
納めるみたいですが。。。コレって厄年でないと買えないのかな!?
チッ!!知ってたら、とりあえず瓢箪を買って帰ってたわ・・・残念



明日も続きます


鄙びた雰囲気が、とても落ち着きます


そして紅葉がよく似合います
こういう風景が見たくって、旅に出るワケですからね・・・。
ふと里心が起きてしまいそう



ここは観世音寺横に建つ【戒壇院】
奈良時代に置かれたそうで、戒壇とは僧が守るべき戒律を授ける所で
ここで儀式を経て、正式な僧尼と認められた場所みたいですね


ここで万葉の一句

「何段の 階段積めば 層になる」←ちょい捻り過ぎたかな(笑)

戒律とは、聖武天皇に頼まれ来日した唐の僧・鑑真によって伝えられました。
鑑真は盲目となるながらも、6度目の渡航でようやく日本へ渡ったことでも有名ですが
京へ向かう途中、観世音寺を訪れ、753年12月に日本で初めての授戒を
行われたそうです


そして761年、観世音寺に戒壇院が西海道(九州)の授戒の場として設けられた
らしく、その他にも東大寺(奈良)、下野薬師寺(栃木)の戒壇院とともに
【天下の三戒壇】として知られる場所なんだとか


東大寺のは知ってたけど・・・ここが原点の道場発祥の地?だったんですね。

肉入境内!?それって振る舞いすき焼きでもやってるのかなぁ


そんな景気の良い話ではなく、長崎の唐寺の山門にも必ず立っている「禁令標」ですが
「不許葷酒肉入境内」匂いの強い野菜や酒、肉を飲食した人は境内に立ち入るべからず!!
というような・・・戒め的な内容が記されているワケですね



山門を潜ってこちらが【本堂】になります

現在の敷地は非常に狭い感じでしたが、戒壇院の建物は古絵図から見てもそれなりに
立派な建物が並んでいたようですが、その後の戒壇院は衰退し
1703(元禄16)年、藩命によって博多の禅宗(聖福寺・承天寺・崇福寺)の
管理となり、観世音寺を離れ現在は博多・聖福寺の末寺となっているそうです


現在の本堂は、1680年に再建された禅宗ふうの建物になっています

久しぶりにこのように美しく手入れをされた砂庭を目にしましたよ


しかも山茶花の花びらが曲水に浮かんで、流れているかのよう。。。
「砂河に 流れゆくのは 我が心なり」字余りですが、そんな気分



意外にも博多って禅寺が結構あるんですね・・・。
黒田藩が関わっているようですが、博多の聖福寺などは源頼朝の頃らしく
1番古くて1195(建久6)年というから、なかなかですよね!!
しかもお茶の元祖でも有名な、あの栄西禅師が開山された寺なんですって



栄西禅師は岡山の生まれで、比叡山で天台宗を学ばれ宋に渡って臨済禅を
学ばれた人物。。。そういえば観世音寺の御朱印を受けたら天台宗でしたね

行かなかったけど、近くには「日吉神社」というのもあったみたいですが・・・
この神社は観世音寺の鎮守であり、比叡山の日吉大社を分霊したモノみたいですよ。
天台宗と何ら関係があるのでしょうかね


何にせよ、いつか博多の禅寺にも足跡を残してみたいモノですな




そして紅葉がよく似合います

こういう風景が見たくって、旅に出るワケですからね・・・。
ふと里心が起きてしまいそう



ここは観世音寺横に建つ【戒壇院】
奈良時代に置かれたそうで、戒壇とは僧が守るべき戒律を授ける所で
ここで儀式を経て、正式な僧尼と認められた場所みたいですね



ここで万葉の一句



戒律とは、聖武天皇に頼まれ来日した唐の僧・鑑真によって伝えられました。
鑑真は盲目となるながらも、6度目の渡航でようやく日本へ渡ったことでも有名ですが
京へ向かう途中、観世音寺を訪れ、753年12月に日本で初めての授戒を
行われたそうです


そして761年、観世音寺に戒壇院が西海道(九州)の授戒の場として設けられた
らしく、その他にも東大寺(奈良)、下野薬師寺(栃木)の戒壇院とともに
【天下の三戒壇】として知られる場所なんだとか



東大寺のは知ってたけど・・・ここが原点の道場発祥の地?だったんですね。
肉入境内!?それって振る舞いすき焼きでもやってるのかなぁ



そんな景気の良い話ではなく、長崎の唐寺の山門にも必ず立っている「禁令標」ですが
「不許葷酒肉入境内」匂いの強い野菜や酒、肉を飲食した人は境内に立ち入るべからず!!
というような・・・戒め的な内容が記されているワケですね



山門を潜ってこちらが【本堂】になります


現在の敷地は非常に狭い感じでしたが、戒壇院の建物は古絵図から見てもそれなりに
立派な建物が並んでいたようですが、その後の戒壇院は衰退し
1703(元禄16)年、藩命によって博多の禅宗(聖福寺・承天寺・崇福寺)の
管理となり、観世音寺を離れ現在は博多・聖福寺の末寺となっているそうです


現在の本堂は、1680年に再建された禅宗ふうの建物になっています


久しぶりにこのように美しく手入れをされた砂庭を目にしましたよ



しかも山茶花の花びらが曲水に浮かんで、流れているかのよう。。。
「砂河に 流れゆくのは 我が心なり」字余りですが、そんな気分



意外にも博多って禅寺が結構あるんですね・・・。
黒田藩が関わっているようですが、博多の聖福寺などは源頼朝の頃らしく
1番古くて1195(建久6)年というから、なかなかですよね!!
しかもお茶の元祖でも有名な、あの栄西禅師が開山された寺なんですって



栄西禅師は岡山の生まれで、比叡山で天台宗を学ばれ宋に渡って臨済禅を
学ばれた人物。。。そういえば観世音寺の御朱印を受けたら天台宗でしたね


行かなかったけど、近くには「日吉神社」というのもあったみたいですが・・・
この神社は観世音寺の鎮守であり、比叡山の日吉大社を分霊したモノみたいですよ。
天台宗と何ら関係があるのでしょうかね



何にせよ、いつか博多の禅寺にも足跡を残してみたいモノですな


さて問題です



このマンホールは、いったいどこの市を表しているでしょうか



おてきち、久しぶりに関西の古刹にタイムスリップしたかのような気分で。。。
高揚(紅葉)ぶりがハンパなかったです!!
愛読書でもあった【百寺巡礼】にも登場していた、太宰府政庁跡からすぐ近くに
建立された「観世音寺」に行って来ました。
入口の雰囲気からして、まさに万葉の地、奈良にも似た空気感が漂っていたのは
この寺院を建立されたのが、天智天皇なんですって



百済(古代朝鮮三国のひとつ)は、日本と交流が深かった国でしたが660年に滅亡しました。
その復興救援に向かった斉明天皇は、661年、筑紫(福岡)で亡くなられました。
その供養のため、子であった天智天皇が発願して建立されたのが観世音寺なんだそうです


当時、周辺には49もの子院があったとされ、伽藍を示す礎石なども残っていて
古代の繁栄を示しているような寺院が、太宰府に残っていたとは・・・感動です


観世音寺は「府の大寺」と呼ばれ、西海道(九州)の仏教寺院の頂点ともなる
大寺院だったそうですね・・・。

663年の白村江の戦いの総指揮官であった母上(斉明天皇)の菩提寺に立っているのかぁ~。
負け戦だったとは言え、なんとも親孝行息子だよな・・・。
弔い合戦とならない辺りが天皇家ですな(笑)

碾磑(てんがい 天平石臼)と書かれた中国の石臼があったのですが。。。
蕎麦でも挽いていたのでしょうかね
?
その横には、木槵樹(もくげんじゅ)という樹木があって説明版を読むと
数珠の玉に用いられ、念仏百万編唱うれば往生の本願疑いなしと言われている

初夏に黄色い小さな花を咲かせるみたいで、実は8月頃になるみたいですね。
ここで、おてきち万葉気分で一句!!
「碾磑で 挽いた蕎麦粉で 色直し」→天平美人とかけてみました



季節柄、紅葉は見頃というより場所によっては終盤に近い感じでした

続いて見たかったのが、こちらの国宝【梵鐘】です!!
この梵鐘は京都・妙心寺の鐘と兄弟といわれ、現在残っている創建当時のモノは
京都・妙心寺の鐘と共に日本最古といわれているそうですよ




日本の音風景100選にも選ばれています
普段は金網が張ってあり、勝手にツクことは出来ないみたいですが。。。
年に一度かな?除夜の鐘の時にだけツクことが出来るそうです。
ここで、おてきち万葉気分で一句!!
「餅つきと 国宝鐘は 年1回」



せっかくなので近くで梵鐘を見ようと、石段を上って行くと。。。
えっ!?ない・・・国宝の梵鐘がサイコロブロックに置き換えられている


しかも何やら貼り紙らしきモノが。。。
国宝「梵鐘」は九州国立博物館で2020年5月19日より公開いたします

ガァ~ン

いきなり撃沈やし。。。
三井寺の梵鐘と比べてやろうと思い、勇んで来たのに。。。

ここで、おてきち万葉気分で一句!!
「鐘の音 ガァ~ンと響く 脳内で」
いやいや・・・こうなったら導かれるまま、九博まで行くしかないな


万葉の旅人おてきちの大陸移動説!!の始まり、始まりぃ~


気分を取り直して、次なる目的は今回1番楽しみにしている「宝蔵」へと潜入です
宝物殿というよりは、宝蔵という響きの方が断然スキ


館内は撮影禁止なので、お見せ出来ないのがどうにも残念です。
なので、看板にあった写真を撮って来たので各々に想像して下さいませ(笑)

観世音寺の重要文化財である、平安後期の巨像が立ち並んでいたのですが・・・
さすがに思わず大声が出てしまったくらいに圧巻で、改めて仏像が好きなんだなと
自分で再確認できた空間でしたね・・・。
薄暗い館内におられたのは、阿弥陀如来坐像、聖観世音菩薩坐像、大黒天に
十一面観世音菩薩、吉祥天もおられましたっけ



その中で最も古い彫像は、階段を上がったほぼ正面におられた
【兜跋毘沙門天立像(とばつ びしゃもんてん りゅうぞう)】です。
説明によると、この毘沙門天は唐の西域の国「兜跋国」に現れた毘沙門天とされ
国土を守る仏とされています。
これと同種の像が、京都・平安京の朱雀大路の南端にあった羅城門(京へ入る正門)
に置かれていました。
このためこの像も、もともと古代都市・大宰府条坊の「羅城門」に
置かれていたとする説が有力視されています

観世音寺が太宰府でどれだけの権力というか、地位を誇っていたのかが
よく分かる宝蔵でした



その他にも、奈良・明日香の川原寺(飛鳥四大寺のひとつ)や藤原宮といった
7世紀末の天皇にゆかりのある施設に使われた瓦(創建瓦)の展示や
686年「新羅の客人をもてなすため、川原寺の伎楽を筑紫に運んだ」と
「日本書紀」に記されている、大陸由来の舞楽の面「陵王、納曽利の面(国重要文化財)」
などが保存されていました


ここで、おてきち万葉気分で一句!!
「仏像の ニオイはやっぱり 宝蔵
」
参考資料~太宰府市日本遺産活性化協議会HPより参照~




このマンホールは、いったいどこの市を表しているでしょうか



おてきち、久しぶりに関西の古刹にタイムスリップしたかのような気分で。。。
高揚(紅葉)ぶりがハンパなかったです!!
愛読書でもあった【百寺巡礼】にも登場していた、太宰府政庁跡からすぐ近くに
建立された「観世音寺」に行って来ました。
入口の雰囲気からして、まさに万葉の地、奈良にも似た空気感が漂っていたのは
この寺院を建立されたのが、天智天皇なんですって



百済(古代朝鮮三国のひとつ)は、日本と交流が深かった国でしたが660年に滅亡しました。
その復興救援に向かった斉明天皇は、661年、筑紫(福岡)で亡くなられました。
その供養のため、子であった天智天皇が発願して建立されたのが観世音寺なんだそうです


当時、周辺には49もの子院があったとされ、伽藍を示す礎石なども残っていて
古代の繁栄を示しているような寺院が、太宰府に残っていたとは・・・感動です



観世音寺は「府の大寺」と呼ばれ、西海道(九州)の仏教寺院の頂点ともなる
大寺院だったそうですね・・・。
663年の白村江の戦いの総指揮官であった母上(斉明天皇)の菩提寺に立っているのかぁ~。
負け戦だったとは言え、なんとも親孝行息子だよな・・・。
弔い合戦とならない辺りが天皇家ですな(笑)
碾磑(てんがい 天平石臼)と書かれた中国の石臼があったのですが。。。
蕎麦でも挽いていたのでしょうかね


その横には、木槵樹(もくげんじゅ)という樹木があって説明版を読むと
数珠の玉に用いられ、念仏百万編唱うれば往生の本願疑いなしと言われている


初夏に黄色い小さな花を咲かせるみたいで、実は8月頃になるみたいですね。
ここで、おてきち万葉気分で一句!!
「碾磑で 挽いた蕎麦粉で 色直し」→天平美人とかけてみました



季節柄、紅葉は見頃というより場所によっては終盤に近い感じでした


続いて見たかったのが、こちらの国宝【梵鐘】です!!
この梵鐘は京都・妙心寺の鐘と兄弟といわれ、現在残っている創建当時のモノは
京都・妙心寺の鐘と共に日本最古といわれているそうですよ




日本の音風景100選にも選ばれています

普段は金網が張ってあり、勝手にツクことは出来ないみたいですが。。。
年に一度かな?除夜の鐘の時にだけツクことが出来るそうです。
ここで、おてきち万葉気分で一句!!
「餅つきと 国宝鐘は 年1回」



せっかくなので近くで梵鐘を見ようと、石段を上って行くと。。。
えっ!?ない・・・国宝の梵鐘がサイコロブロックに置き換えられている



しかも何やら貼り紙らしきモノが。。。
国宝「梵鐘」は九州国立博物館で2020年5月19日より公開いたします


ガァ~ン



三井寺の梵鐘と比べてやろうと思い、勇んで来たのに。。。
ここで、おてきち万葉気分で一句!!
「鐘の音 ガァ~ンと響く 脳内で」
いやいや・・・こうなったら導かれるまま、九博まで行くしかないな



万葉の旅人おてきちの大陸移動説!!の始まり、始まりぃ~


気分を取り直して、次なる目的は今回1番楽しみにしている「宝蔵」へと潜入です

宝物殿というよりは、宝蔵という響きの方が断然スキ



館内は撮影禁止なので、お見せ出来ないのがどうにも残念です。
なので、看板にあった写真を撮って来たので各々に想像して下さいませ(笑)
観世音寺の重要文化財である、平安後期の巨像が立ち並んでいたのですが・・・
さすがに思わず大声が出てしまったくらいに圧巻で、改めて仏像が好きなんだなと
自分で再確認できた空間でしたね・・・。
薄暗い館内におられたのは、阿弥陀如来坐像、聖観世音菩薩坐像、大黒天に
十一面観世音菩薩、吉祥天もおられましたっけ



その中で最も古い彫像は、階段を上がったほぼ正面におられた
【兜跋毘沙門天立像(とばつ びしゃもんてん りゅうぞう)】です。
説明によると、この毘沙門天は唐の西域の国「兜跋国」に現れた毘沙門天とされ
国土を守る仏とされています。
これと同種の像が、京都・平安京の朱雀大路の南端にあった羅城門(京へ入る正門)
に置かれていました。
このためこの像も、もともと古代都市・大宰府条坊の「羅城門」に
置かれていたとする説が有力視されています


観世音寺が太宰府でどれだけの権力というか、地位を誇っていたのかが
よく分かる宝蔵でした



その他にも、奈良・明日香の川原寺(飛鳥四大寺のひとつ)や藤原宮といった
7世紀末の天皇にゆかりのある施設に使われた瓦(創建瓦)の展示や
686年「新羅の客人をもてなすため、川原寺の伎楽を筑紫に運んだ」と
「日本書紀」に記されている、大陸由来の舞楽の面「陵王、納曽利の面(国重要文化財)」
などが保存されていました



ここで、おてきち万葉気分で一句!!
「仏像の ニオイはやっぱり 宝蔵

参考資料~太宰府市日本遺産活性化協議会HPより参照~
相撲で盛り上がって、野球で燃え尽きて、今夜からはフィギュアNHK杯で
久しぶりに見られる、高橋大輔さんのアイスダンスも楽しみですね!!
黄色いパンツスタイルで登場するみたいだから、映画「MASK」の世界観が
どんなふうに演じられるのか、今からワクワクですな



ここ数日、昼間は寒さもこの時期としてはマシな方なので・・・
室内の窓を全部オープンにして、2時間ばかり換気を行っています
そしてその間、せっかく開けっ放しにしてるんだしと思いホコリが舞っても
良い作業といえば掃除しかないので、頑張って年末の大掃除を始めています



するとご近所さんから野菜の差し入れが届いたのが、写真にある虫食いキャベツと
エロ大根です(笑)
おてきちが喜んで写真を撮るもんだから、珍しいカタチをした野菜が出来ると
持って来て下さるワケですよ



この穴あきキャベツ「はらぺこあおむし」の絵本に登場する穴あき具合そのモノやで!!
しかし上手に穴を開けてあるよなぁ~(笑)
そうだった!!この前見つけて買っておいた米粉&野菜で作るパンケーキが
あったのを思い出したので、明日の3時のおやつにコレを焼いてみるかな


久しぶりに見られる、高橋大輔さんのアイスダンスも楽しみですね!!
黄色いパンツスタイルで登場するみたいだから、映画「MASK」の世界観が
どんなふうに演じられるのか、今からワクワクですな



ここ数日、昼間は寒さもこの時期としてはマシな方なので・・・
室内の窓を全部オープンにして、2時間ばかり換気を行っています

そしてその間、せっかく開けっ放しにしてるんだしと思いホコリが舞っても
良い作業といえば掃除しかないので、頑張って年末の大掃除を始めています



するとご近所さんから野菜の差し入れが届いたのが、写真にある虫食いキャベツと
エロ大根です(笑)
おてきちが喜んで写真を撮るもんだから、珍しいカタチをした野菜が出来ると
持って来て下さるワケですよ



この穴あきキャベツ「はらぺこあおむし」の絵本に登場する穴あき具合そのモノやで!!
しかし上手に穴を開けてあるよなぁ~(笑)
そうだった!!この前見つけて買っておいた米粉&野菜で作るパンケーキが
あったのを思い出したので、明日の3時のおやつにコレを焼いてみるかな



今月も「食卓の日」ランチに行って来ましたよ(笑)
そして先月に引き続き、おてきちまたNHKのインタビューを受けてしまい・・・
さすがにインタビュー慣れというのか、話す内容が自然と?調子づいてしまって
いつものように微量の毒を含んだ?語り部になってしまっていたのですが。。。
さすがにその部分は、うまくカット
して放送されてましたけどね



メニューは【恐竜チキンフリカッセ】
文字で見るから理解できるけど、これが言葉で聞くとチキンふりかけ
!?と
聞こえなくもない、あまり聞き慣れないメニューでしたが。。。
食べてみると、普通にチキンカレーでした

フリカッセとはフランスの家庭料理で
白い(生クリーム)煮込み料理のことみたいですね


そしてなぜに恐竜が!?もしかして・・・このチキンは・・・?って鳥肉?鶏肉?
冷凍恐竜のチキンなのか


今月のランチ企画は、令和3年10月29日にオープンする【恐竜博物館】の
開館1年を切ったことを祝して?前夜祭ならぬ1年前の昼飯de前祝い?
みたいな流れを組んでのメニューだったようですね



食べながら食堂内を見渡すと、確かに毎月とは様子が違っていて恐竜の「ぬいぐるみ」や
ポスターに資料的な案内が、ソーシャルディスタンス用に設けてあるパネルのあちこちに
貼り付けてありましたよ


道理でインタビューの内容も、恐竜&長崎の関係についてどう思いますか
?
みたいな、非常に答えに困る難解な?質疑応答のランチタイムでしたね(笑)

「恐竜」は、1841年にイギリスの解剖学者リチャード・オーウェンによって提唱された
「Dinosauria」を語源とする訳語です。ギリシャ語で「恐ろしい蜥蜴」という意味が
あることから「恐蜥(きょうせき)」、「恐蜴(きょうえき)」と訳されたこともありました。
しかし、現在では「恐竜」と訳すことが一般的になっています

それを最初に訳した人物が、長崎出身で「日本の古生物学の父」と称される横山又次郎氏
とされているそうで、この人物は江戸時代、出島で阿蘭陀通詞をしていた横山家の
分家7代の次男に生まれた人物だそうですよ

~パネル参考資料「龍の街」著者・中谷大輔氏の資料より抜粋~

そうなんや・・・古生物学のパパが、長崎には存在してたんや・・・
そういえば古代米の横に添えてあった、恐竜の足型を模ったパンやけど・・・
可愛いのはもちろんのこと、食べた瞬間のイメージとしては古代生物の恐竜に
思いを馳せてというよりは・・・
教会で信者さんたちが、神父さんから与えられ食べているパンのイメージが浮かんで来て
それってローマ教皇が「PAPA」と呼ばれているそうだから、古生物学のパパと重なって
そんなふうに思いが交差したのでしょうかね・・・


今月は複雑怪奇なランチタイムでした(笑)
でも帰りのバス停で、風に吹かれて空から舞って来たイチョウの葉っぱを何枚かGET!!
ただでは帰らない?雑草魂のおてきちでした


そして先月に引き続き、おてきちまたNHKのインタビューを受けてしまい・・・
さすがにインタビュー慣れというのか、話す内容が自然と?調子づいてしまって
いつものように微量の毒を含んだ?語り部になってしまっていたのですが。。。
さすがにその部分は、うまくカット





メニューは【恐竜チキンフリカッセ】
文字で見るから理解できるけど、これが言葉で聞くとチキンふりかけ


聞こえなくもない、あまり聞き慣れないメニューでしたが。。。
食べてみると、普通にチキンカレーでした



白い(生クリーム)煮込み料理のことみたいですね


そしてなぜに恐竜が!?もしかして・・・このチキンは・・・?って鳥肉?鶏肉?
冷凍恐竜のチキンなのか



今月のランチ企画は、令和3年10月29日にオープンする【恐竜博物館】の
開館1年を切ったことを祝して?前夜祭ならぬ1年前の昼飯de前祝い?
みたいな流れを組んでのメニューだったようですね



食べながら食堂内を見渡すと、確かに毎月とは様子が違っていて恐竜の「ぬいぐるみ」や
ポスターに資料的な案内が、ソーシャルディスタンス用に設けてあるパネルのあちこちに
貼り付けてありましたよ



道理でインタビューの内容も、恐竜&長崎の関係についてどう思いますか

みたいな、非常に答えに困る難解な?質疑応答のランチタイムでしたね(笑)
「恐竜」は、1841年にイギリスの解剖学者リチャード・オーウェンによって提唱された
「Dinosauria」を語源とする訳語です。ギリシャ語で「恐ろしい蜥蜴」という意味が
あることから「恐蜥(きょうせき)」、「恐蜴(きょうえき)」と訳されたこともありました。
しかし、現在では「恐竜」と訳すことが一般的になっています


それを最初に訳した人物が、長崎出身で「日本の古生物学の父」と称される横山又次郎氏
とされているそうで、この人物は江戸時代、出島で阿蘭陀通詞をしていた横山家の
分家7代の次男に生まれた人物だそうですよ


~パネル参考資料「龍の街」著者・中谷大輔氏の資料より抜粋~
そうなんや・・・古生物学のパパが、長崎には存在してたんや・・・
そういえば古代米の横に添えてあった、恐竜の足型を模ったパンやけど・・・
可愛いのはもちろんのこと、食べた瞬間のイメージとしては古代生物の恐竜に
思いを馳せてというよりは・・・
教会で信者さんたちが、神父さんから与えられ食べているパンのイメージが浮かんで来て
それってローマ教皇が「PAPA」と呼ばれているそうだから、古生物学のパパと重なって
そんなふうに思いが交差したのでしょうかね・・・



今月は複雑怪奇なランチタイムでした(笑)
でも帰りのバス停で、風に吹かれて空から舞って来たイチョウの葉っぱを何枚かGET!!
ただでは帰らない?雑草魂のおてきちでした


