昨夜から明け方に掛けて、雨風の怖かったこと


雨戸をしていないせいか、窓ガラスに叩きつける雨音に目が覚めて
一瞬、何が起きたのか?と、スマホの時計を見ると夜中の1時30分
そこからは目がさえてしまって、裏山の竹林や玄関先の金木犀の葉を
揺らす風音があまりに激しすぎて、台風以上カモ知れない雨風の存在に
さすがにビビッてしまい・・・今日はちょっと寝不足気味です



晴れていたら、諏訪神社で茅の輪くぐりでもしようかな


などと思っていたのですが・・・茅の輪が準備されているかどうかは未確認なんですけどね。
そしてその後は家で、夏越しランチ「かき揚げ丼」を作って。。。
と、予定を立てていたのですが、なんだか面倒くさくなってしまって結局ランチは簡単に
納豆、もずく、玉葱の味噌汁、アジの南蛮漬け(缶詰です)で済ますことにしましたよ(笑)
とにかく雨が続くのは梅雨なので・・・当たり前なんですけどね



そういえば、ベニシアさんが言ってましたっけ!!
「雨の中でも踊るのが人生よ」って


そういう映画のワンシーンがあったような。。。
「猫のしっぽ カエルの手」に登場するベニシアさんは、以前の赤毛からシルバーヘアーに
なられて、確か今年70歳?を迎えるそうですが、ここ数年、以前のようにテキパキと行動が
出来ない様子を見ていると、月日の流れを感じずにはいられませんけどね・・・。

多かれ少なかれ、ベニシアさんから受けた影響は日常の暮らしの中に知らず知らずのうちに
根付いていて、それがいつしか暮らしの一部となり・・・
おてきちや周囲の者の心や気持ちを、豊かにしてくれていたように思います


滋賀で暮らしていた時には、ゆっくりとTVを観る時間も少なかったので存在は知らなかったけど
色んな意味でベニシアさんからは、人生というパズルの中の大切なピースを貰ったんだな・・・
と改めて実感している、今日この頃でやんす





雨戸をしていないせいか、窓ガラスに叩きつける雨音に目が覚めて
一瞬、何が起きたのか?と、スマホの時計を見ると夜中の1時30分
そこからは目がさえてしまって、裏山の竹林や玄関先の金木犀の葉を
揺らす風音があまりに激しすぎて、台風以上カモ知れない雨風の存在に
さすがにビビッてしまい・・・今日はちょっと寝不足気味です



晴れていたら、諏訪神社で茅の輪くぐりでもしようかな



などと思っていたのですが・・・茅の輪が準備されているかどうかは未確認なんですけどね。
そしてその後は家で、夏越しランチ「かき揚げ丼」を作って。。。
と、予定を立てていたのですが、なんだか面倒くさくなってしまって結局ランチは簡単に
納豆、もずく、玉葱の味噌汁、アジの南蛮漬け(缶詰です)で済ますことにしましたよ(笑)
とにかく雨が続くのは梅雨なので・・・当たり前なんですけどね



そういえば、ベニシアさんが言ってましたっけ!!
「雨の中でも踊るのが人生よ」って



そういう映画のワンシーンがあったような。。。
「猫のしっぽ カエルの手」に登場するベニシアさんは、以前の赤毛からシルバーヘアーに
なられて、確か今年70歳?を迎えるそうですが、ここ数年、以前のようにテキパキと行動が
出来ない様子を見ていると、月日の流れを感じずにはいられませんけどね・・・。
多かれ少なかれ、ベニシアさんから受けた影響は日常の暮らしの中に知らず知らずのうちに
根付いていて、それがいつしか暮らしの一部となり・・・
おてきちや周囲の者の心や気持ちを、豊かにしてくれていたように思います



滋賀で暮らしていた時には、ゆっくりとTVを観る時間も少なかったので存在は知らなかったけど
色んな意味でベニシアさんからは、人生というパズルの中の大切なピースを貰ったんだな・・・
と改めて実感している、今日この頃でやんす



さすがに程よくエアコンを使用しています


今朝は白桃煎茶の水出しを飲んで、1日のスタートです!!
そうそう、忘れない内に朝顔の摘心をしておかないとな


今日は天気が良ければ、出島にでも行ってみようかと思っていたけれど
どうも雲行きが怪しかったので、またの機会にすることにしました


それにしても、外出時のマスクは本当にツライもんですねぇ~


でも人が密集している所や公共の交通機関では、必ずマスクを着用しておかないと
いきなりどこからマスク警察とやらが、登場するやも知れないのでご用心ですわ(笑)
なので、今日のお昼はマスクなしでも、自然体で汗を上手にかくために・・・
買い置きをしておいた、ご当地ラーメンを食べることにしましたぁ~



四海楼なんていうのも見つけたので、ついつい買ってしまったじょ
栄養バランスも考えて・・・サイドメニューにはミニ豚まんをプラスして
沼エビちゃんでも眺めながら、おうち中華を満喫しましょうかねぇ~

最近はお昼ごはんを食べた後、やけに眠気が襲ってくるもんだから。。。
20~30分ほどの昼寝タイムが継続中(笑)



今朝は白桃煎茶の水出しを飲んで、1日のスタートです!!
そうそう、忘れない内に朝顔の摘心をしておかないとな



今日は天気が良ければ、出島にでも行ってみようかと思っていたけれど
どうも雲行きが怪しかったので、またの機会にすることにしました


それにしても、外出時のマスクは本当にツライもんですねぇ~



でも人が密集している所や公共の交通機関では、必ずマスクを着用しておかないと
いきなりどこからマスク警察とやらが、登場するやも知れないのでご用心ですわ(笑)
なので、今日のお昼はマスクなしでも、自然体で汗を上手にかくために・・・
買い置きをしておいた、ご当地ラーメンを食べることにしましたぁ~



四海楼なんていうのも見つけたので、ついつい買ってしまったじょ

栄養バランスも考えて・・・サイドメニューにはミニ豚まんをプラスして
沼エビちゃんでも眺めながら、おうち中華を満喫しましょうかねぇ~


最近はお昼ごはんを食べた後、やけに眠気が襲ってくるもんだから。。。
20~30分ほどの昼寝タイムが継続中(笑)
梅雨


先日、水曜日だったかな・・・今年初のセミの鳴き声を聴きましたよ



毎年、毎年、同じことなんだけど、セミの声が重なると耳鳴りと錯覚してしまう
そんな暑くて恐ろしい夏が、近くまでやって来ているって感じですな

グラバー園からの帰りに、開いていたのが【四海楼】だったので。。。
数年ぶりにそちらで、お昼はちゃんぽんを食べることにしました



すると入口の辺りに、何やら硯石のような箱モノが目についたので近づいてみると
【魔法陣】という説明版がありました



それこそ数年前にもブログで紹介したような記憶もあるけれど。。。
改めて目に留まったモノだから、ちょっとアップしてみましたぜ(笑)
四海楼って建物自体が、ものすごい威圧感があるものだから市民が利用するというよりは
観光客専門店って感じなので、瓦で飾られた龍の壁面などインスタ映えが盛りだくさん

それでその魔法陣と呼ばれるモノは、この龍の壁面中央部の下あたりに設置されていて
全部でマス目は、6X6で36マスありました。
その配列はマジックスクエア(魔法陣)と呼ばれ、中国に昔から伝わる魔よけらしく
縦、横、斜めの数字を足すと全ての数が111になるという・・・不思議な数字の配列は
現在の数学理論を駆使しても、説明不可能だと言われている。と書いてありました


そして、古来、中国ではこの魔法陣を家の基礎に埋め込んで「魔よけ」として
使われていたそうですよ



ちょっと意味不明ではありますが・・・数字に弱いおてきちには効果があるカモ(笑)
旧グラバー住宅から見る長崎港や稲佐山の眺めが、おてきちは結構気に入っていて
ちょうど良い目線の高さに景色が並んで見えるので、なんか気持ちが落ち着くというか
絵画のようにバランスのとれた構図は、返って自身を現実の世から切り離してくれる
ような感覚に陥れるものだから、精神的にも本当の意味で癒しが達成されると
おてきちは解釈しているのですけどね



何度来ても、ワクワク&ドキドキするこの新鮮な感覚は洋風建築に囲まれているから
なのか・・・それともグラバーの築いた歴史がそういう高揚感を訪れた人々に
与えているのか・・・この場所に立つと決まって冒険心が沸々と湧き上がって来るなぁ(笑)

水こそ見慣れた故郷の風景だけど。。。
港の風景がそこにプラスされるだけで、こんなにも違うモノだろうか。。。
やはり漁港
とはまたちょっと違った雰囲気がするよな。。。

いつもなら修学旅行生などで賑わっているグラバー園ですが・・・
ほぼほぼ貸し切り状態で、嬉しいやら、淋しいやらで複雑な心境ですね


そうだッ!!観光客が居ないのをイイことに、自由亭で久しぶりにお茶でもしようかな


昨日の写真にあった亀の池の目の前にある建物が、西洋料理発祥の店【自由亭】で
以前にもブログに書いたことがありますけど・・・
改めて簡単に再度、説明をしておきますと、明治11年に諏訪神社下(馬町)に
建てられた西洋料理店で、当時、この料理店には内外の貴賓や地元高官などの
社交場として利用されていたそうです


その後、店主であった草野丈吉の死後、自由亭は閉店され店は日本政府が購入し
太平洋戦争後には、検察庁官舎として使用されていたんだそうです

そういった歴史ある建造物は、まとめてこのグラバー園へ移築されたワケなんですねぇ~。

料金所から動く歩道に乗って最初に下りた右側に、この旧自由亭は建っているのですが
ちょうどこの建物の真下に、旧グラバー住宅があるといった地図になりますかね


おてきちも一度だけ、店内でダッチコーヒーだったかを飲んだ記憶がありますが。。。
落ち着いた雰囲気と店内からの眺望に、暫し時間を忘れることの出来るティールームですね


はぁ~あ、久しぶりにお茶したかったなぁ~・・・。
その当時の自由亭のメニューには、ビフテキやカレーライス、コーヒー、スポンジケーキ
などがあったらしく、「料金は一人前三朱、6人以上お断り、前日に予約すること」
という記録が残っているそうです



三朱とは今の
1万3千円くらいと書いてあるから。。。
何ともVIPなお値段ですこと
!!
しかも、電話もない時代に前日に予約するのは大変なことだったみたいですね


仕方がない。またの機会ということで、今日のところは潔く亀
の池の水でガマンするか(笑)

だけど開港した日本に、近代化の風を送り込んだ冒険商人グラバーの住居だった建物の
屋根の構造(華奢だったけど)が見られただけでも、ラッキーだったとするべきかな


今回の保存修理工事は、約50年ぶりだと書いてあったから。。。
少しはレアな体験が出来たってことですな(笑)

藤棚の木陰でひと休みしながら・・・長崎港を眺めていると心地の良い海風が吹いてきて
周囲に人が居ないせいか、この街にはおてきちだけが生存しているような気持ちになって
来て・・・おっと!!これってポツンとグラバー園やんかっ


とまぁ~、いきなりテンションマックスになるけれど・・・
海風が止むと、蒸し暑さにはやたらと弱いおてきちでやんす



ちょうど良い目線の高さに景色が並んで見えるので、なんか気持ちが落ち着くというか
絵画のようにバランスのとれた構図は、返って自身を現実の世から切り離してくれる
ような感覚に陥れるものだから、精神的にも本当の意味で癒しが達成されると
おてきちは解釈しているのですけどね



何度来ても、ワクワク&ドキドキするこの新鮮な感覚は洋風建築に囲まれているから
なのか・・・それともグラバーの築いた歴史がそういう高揚感を訪れた人々に
与えているのか・・・この場所に立つと決まって冒険心が沸々と湧き上がって来るなぁ(笑)
水こそ見慣れた故郷の風景だけど。。。
港の風景がそこにプラスされるだけで、こんなにも違うモノだろうか。。。
やはり漁港

いつもなら修学旅行生などで賑わっているグラバー園ですが・・・
ほぼほぼ貸し切り状態で、嬉しいやら、淋しいやらで複雑な心境ですね



そうだッ!!観光客が居ないのをイイことに、自由亭で久しぶりにお茶でもしようかな


昨日の写真にあった亀の池の目の前にある建物が、西洋料理発祥の店【自由亭】で
以前にもブログに書いたことがありますけど・・・
改めて簡単に再度、説明をしておきますと、明治11年に諏訪神社下(馬町)に
建てられた西洋料理店で、当時、この料理店には内外の貴賓や地元高官などの
社交場として利用されていたそうです


その後、店主であった草野丈吉の死後、自由亭は閉店され店は日本政府が購入し
太平洋戦争後には、検察庁官舎として使用されていたんだそうです


そういった歴史ある建造物は、まとめてこのグラバー園へ移築されたワケなんですねぇ~。
料金所から動く歩道に乗って最初に下りた右側に、この旧自由亭は建っているのですが
ちょうどこの建物の真下に、旧グラバー住宅があるといった地図になりますかね



おてきちも一度だけ、店内でダッチコーヒーだったかを飲んだ記憶がありますが。。。
落ち着いた雰囲気と店内からの眺望に、暫し時間を忘れることの出来るティールームですね


はぁ~あ、久しぶりにお茶したかったなぁ~・・・。
その当時の自由亭のメニューには、ビフテキやカレーライス、コーヒー、スポンジケーキ
などがあったらしく、「料金は一人前三朱、6人以上お断り、前日に予約すること」
という記録が残っているそうです



三朱とは今の

何ともVIPなお値段ですこと


しかも、電話もない時代に前日に予約するのは大変なことだったみたいですね



仕方がない。またの機会ということで、今日のところは潔く亀


だけど開港した日本に、近代化の風を送り込んだ冒険商人グラバーの住居だった建物の
屋根の構造(華奢だったけど)が見られただけでも、ラッキーだったとするべきかな



今回の保存修理工事は、約50年ぶりだと書いてあったから。。。
少しはレアな体験が出来たってことですな(笑)
藤棚の木陰でひと休みしながら・・・長崎港を眺めていると心地の良い海風が吹いてきて
周囲に人が居ないせいか、この街にはおてきちだけが生存しているような気持ちになって
来て・・・おっと!!これってポツンとグラバー園やんかっ



とまぁ~、いきなりテンションマックスになるけれど・・・
海風が止むと、蒸し暑さにはやたらと弱いおてきちでやんす



あまりの清々しい青空にそそのかされて?暑さをついつい忘れてしまって
気が付けば路面電車に揺られ、梅雨の晴れ間にグラバー園まで来てしまいましたよ


市民に限り期間限定ですが、無料で入園できるという特典に弱いおてきちです(笑)

グラバー園に来る道中の土産物店も、半数以上はシャッターが下りていて
中には閉店された店舗も何軒か見られ・・・観光客の来ない長崎の街は
この先、いったいどうなって行くのだろうか。。。

長崎市魚の町にある、創業から311年の老舗【江崎べっ甲店】も今月中に閉店を
されるとニュースで報道されていましたが。。。
そのべっ甲店で、江戸時代に魚の町で行われていた踏み絵の台帳
とやらが
新たに2冊発見されたそうです



記事によると、近年66冊(1746~1865年)が江崎家に所蔵されていることは
一部の研究者の間で知られていたそうですが、この2冊はそれより古い1745(延享2)年
および1816(文化13)年のモノで、計68冊となった。と書いてありました


歴史のある老舗べっ甲店が閉店されるのは、淋しい気も致しますが。。。
これも時代の流れだと受け入れて・・・べっ甲だけに亀の写真と共に話題に
取り上げてみた次第です




そして現在、旧グラバー住宅では耐震化を含む保存修理工事が行われており
建物内の見学は出来ませんが、このようにデッキが設置されていてその通路から
旧グラバー住宅の屋根などの修理現場が、見学できるようになっていました



現存する日本最古の木造洋風建築で、世界遺産にも登録されている貴重な
文化財建造物ですから、後世の人々へ引き継ぐためにも大切に残さなければ
ならないので・・・数十年に一度、こういった大規模な保存修理を行うそうです


ちょうど煙突が見えている位置になるので、下の写真の右端あたりになりますね

個人的な感想ですけど・・・日本建築に比べると全体的に華奢なイメージがしますなぁ~。
やはりその当時とすれば、これが基本的な木造洋風建築だったのカモ知れませんけどね。

年表によると1939(昭和14)年に、グラバーの嫡子・倉場富三郎が三菱に売却
された後、1957(昭和32)年に、三菱長崎造船所が創業100周年記念事業の
一環として長崎市に寄贈され1958(昭和33)年に一般公開が開始されたワケですか


その後1967(昭和42)年に、修理工事に伴う調査で建築年代が確定されて。。。
現存する日本最古の木造洋風建築である事が判明したんだそうです


歴史にはちゃんと道筋があるワケですな・・・。
だいたい保存修理の期間としては、約2年間ほど要するみたいですね



気が付けば路面電車に揺られ、梅雨の晴れ間にグラバー園まで来てしまいましたよ



市民に限り期間限定ですが、無料で入園できるという特典に弱いおてきちです(笑)
グラバー園に来る道中の土産物店も、半数以上はシャッターが下りていて
中には閉店された店舗も何軒か見られ・・・観光客の来ない長崎の街は
この先、いったいどうなって行くのだろうか。。。
長崎市魚の町にある、創業から311年の老舗【江崎べっ甲店】も今月中に閉店を
されるとニュースで報道されていましたが。。。
そのべっ甲店で、江戸時代に魚の町で行われていた踏み絵の台帳

新たに2冊発見されたそうです



記事によると、近年66冊(1746~1865年)が江崎家に所蔵されていることは
一部の研究者の間で知られていたそうですが、この2冊はそれより古い1745(延享2)年
および1816(文化13)年のモノで、計68冊となった。と書いてありました


歴史のある老舗べっ甲店が閉店されるのは、淋しい気も致しますが。。。
これも時代の流れだと受け入れて・・・べっ甲だけに亀の写真と共に話題に
取り上げてみた次第です




そして現在、旧グラバー住宅では耐震化を含む保存修理工事が行われており
建物内の見学は出来ませんが、このようにデッキが設置されていてその通路から
旧グラバー住宅の屋根などの修理現場が、見学できるようになっていました



現存する日本最古の木造洋風建築で、世界遺産にも登録されている貴重な
文化財建造物ですから、後世の人々へ引き継ぐためにも大切に残さなければ
ならないので・・・数十年に一度、こういった大規模な保存修理を行うそうです


ちょうど煙突が見えている位置になるので、下の写真の右端あたりになりますね


個人的な感想ですけど・・・日本建築に比べると全体的に華奢なイメージがしますなぁ~。
やはりその当時とすれば、これが基本的な木造洋風建築だったのカモ知れませんけどね。
年表によると1939(昭和14)年に、グラバーの嫡子・倉場富三郎が三菱に売却
された後、1957(昭和32)年に、三菱長崎造船所が創業100周年記念事業の
一環として長崎市に寄贈され1958(昭和33)年に一般公開が開始されたワケですか


その後1967(昭和42)年に、修理工事に伴う調査で建築年代が確定されて。。。
現存する日本最古の木造洋風建築である事が判明したんだそうです



歴史にはちゃんと道筋があるワケですな・・・。
だいたい保存修理の期間としては、約2年間ほど要するみたいですね


