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Posted by 滋賀咲くブログ at

2015年11月29日

モノクロで開眼!?

龍馬の道を、亀山社中から もと来た道で折り返して寺町まで下りて来ましたicon24icon24icon24
モノクロで撮るとタイムスリップした感が滲み出て、なかなか気分も上がりますよね!!
そして行く道中では目に付かなかったモノまで見えて来ましたよぉ~iconN37face08iconN30


石垣をよく見て歩くと、コレなんて間違いなく墓石にセットで掘られている水を溜めておく所でしょ!?
やっぱり全国どこでも、こういった リサイクルは行われていたって訳ですか・・・。
もしかすると墓石に彫られた文字なんかも見付かりそうで怖いですよねicon23face07icon10


また長崎ではこういった軽い勾配は当たり前で、写真に撮ると時々それが上りなのか
下りなのかが判別出来ない時もあるんですよねぇ~・・・。
でも、色を消すことでジャマな色彩も隠せたりするから、場合によってはモノクロも使いようですネOKface10iconN07


明治17年創業という、今では長崎の特産品と知られる 「よりより」 や 「金銭餅」 といった
中華菓子を製造販売されている 【萬順】 さんでは、どれも丁寧な手づくりで増産化しないため
変わらぬ本格派として、人気があって親しまれているそうですよicon12face06icon12


以前にもブログで書いた記憶がありますが。。。
【金銭餅】きんせんぴん
胡麻をたっぷりとまぶした 中国の古代貨幣をモチーフにして作られた
一口サイズの中華風胡麻クッキー!!
貨幣の形をモチーフにしている事から、長崎くんちでは御捻りの中身としても
珍重されているみたいですねiconN37face02
参考までにどうぞyubi_2face01icon12
http://list.tabiiro.jp/301619/menu.html


町ぶら歩きは車と違って、ゆっくりと色んなところが見られて楽しいですよねiconN36face05icon14
路地裏へ入ってみたり、人ん家の塀の中を覗いてみたりとお宝探しにはピッタリですよ!!
でも油断していると置物かと思うような 舌を出した?リアル猫にも遭遇するのでご用心iconN36face08icon11
   


Posted by おてきち at 15:51 Comments( 2 ) 風景

2015年11月28日

ウミヨリタスケ

坂道、階段、急な勾配、その途中で立ち止まり後ろを振り返ると時折わずかな 海風が感じられる。
だから少しでも高台を目指して歩いてしまうのが、ここ長崎の町歩きの醍醐味だと
おてきちは強く思っていますiconN36face09炎


龍馬の道には、亀山社中や海援隊にゆかりのある同志たちの名前が刻まれていましたiconN27
龍馬の片腕といわれた、高知県生まれの 【近藤長次郎】 は薩摩藩の名義を借りた長州藩のための
軍艦や武器の買い付けの計画が起こると、中心的役割を果たした人物だそうです。


同じく 【長岡謙吉】 は、シーボルトに師事したとも伝わっていて、脱藩後は龍馬らとともに亀山社中
海援隊と行動をともにしたそうですねiconN37face01
学術に秀でた謙吉は龍馬の秘書役や、また海援隊の文司としても活躍した人物のようです。


写真の誕生仏ですが、明治42年に光源寺で開校された 「光闡日曜学校」 発祥の地らしく
平成22年に 100周年の記念碑として誕生仏を安置されたみたいですねicon12face06icon12
背景に望む長崎の町が何とも美しかったですよiconN32


通ったことのない初めての道は、先に何があるのかと好奇心と道連れなので思ったよりも早く
辿り着くのが常ですが、亀山社中記念館の名誉館長といえば 「武田鉄矢」 さんで有名ですよね。
館内の撮影はご遠慮願います!!とのことだったのでyubi_2face01HPを添付しておきます。
http://www.city.nagasaki.lg.jp/kameyama/museum/building.html


そして亀山社中からすぐのところに 【龍馬のぶーつ像】 がありました。
これは観光の目玉でもあるらしく、龍馬と言えばこのぶーつ像の写真が決まって登場していますねぇ~。
幕末の風雲児だった龍馬は、日本で最初にブーツを履いたと書かれていましたよiconN37face02icon10
実際にブーツの中へ足を入れて舵を握って、龍馬の気分でお試し下さい!!ですか・・・。


至る所に龍馬の痕跡はありますが、平成の世の中においても町の活性化に一役買っている龍馬って
やっぱり人一倍のエネルギーを持っている人物だったのでしょうかね・・・。
しかし思うに このブーツの中には、きっと多くの水虫菌が息を潜めて眠っていることでしょうicon23face07icon11
   


Posted by おてきち at 15:38 Comments( 2 ) 史跡巡り

2015年11月27日

動乱期に見た夢

石段まじりの坂道がひたすら続くこの道は、幕末の志士に思いを馳せながら歩きたい!!
と龍馬ファンが大変憧れる 「龍馬通り」 と呼ばれる坂道で、この先に待っているのは
薩摩藩や長崎を代表する豪商でスポンサーでもあった、小曽根家の援助を受けて
創設された 【亀山社中】 があるんですねiconN37face01icon12
一度は覗いておかないとねicon23face08と思い、せっせせっせと階段を上る訳ですよ・・・。


icon12龍馬と長崎の出会いicon12
1835 (天保6) 年、高知城下に生まれた坂本龍馬は江戸への剣術修行、土佐勤王党への加盟
そして土佐脱藩!!幕末の動乱期、時代とともに目まぐるしく動き始める龍馬の人生において
大きな飛躍の舞台となったのが、ここ長崎だったって話ですねiconN37face01iconN27


そして1864 (元治元) 年、勝海舟に同行して長崎入りをした龍馬でしたが。。。
当時、海外とも活発に交流していた長崎の街は、龍馬の目にどのように映っていたのでしょうねぇicon12face06icon12
龍馬は翌年、日本初の貿易会社 「亀山社中」 を長崎で結成することとなった訳ですよ!!


案内板の地図にある亀山焼の窯跡には、長崎へ来て1番最初に散策致しましたが。。。
特にコレといって何もなく、若宮稲荷神社の周辺に少し陶片が落ちていたくらいでした。
その時は若宮稲荷のコースから歩いたので、今回はルートを変えて龍馬の道を選んでみましたicon24icon24icon24


少々、緑色のホースは気になりますが。。。風情ある石造りの側溝に歴史を感じますねぇ~iconN07
この周辺は寺町といって、色んな宗派のお寺が建ち並び著名人のお墓も多く存在しています。
ここから 約 2kmほどの坂道を上って、目的地の亀山社中を目指す途中にも先人の墓を発見!!


禅林寺と看板に記されていて、この中で知っている名前は。。。
おっと!! 崎陽 (長崎の別称) の名陶といわれた亀山焼に南画の絵付けをしていた
崎陽三筆と称される 一流画家の 【木下逸雲】 の墓もあるじゃないですかiconN37face08iconN30
確か玄界灘で遭難して亡くなったんじゃなかったのかなぁ・・・。
今度また改めて来ることに致しますicon23face04icon12


1807 (文化4) 年、「垣根山焼」 と称してオランダ船用の陶器の水瓶を焼いていたのが
亀山焼の始まりといわれていますiconN27
その窯は亀山社中上の垣根山にあって、11室もある登窯だったそうです・・・。
また 1814 (文化11) 年には、波佐見や長与などから 陶工を招き、高級白磁器を製作するように
なったけど財政難のためついに 1865 (慶応元) 年に廃窯となったんですね・・・。
やっぱり登り窯だと経営的に考えても、60年ほどが限界なんでしょうかね・・・。
窯跡の影も形も残っていないのが、とても残念ですicon23face07icon15
目的地までの寄り道は明日へと続きますiconN36face10icon14
   


Posted by おてきち at 15:32 Comments( 2 ) 史跡巡り

2015年11月26日

白亜の教会

今回訪れたのは長崎駅近くに建つ 【中町教会】 で、1889 (明治22) 年に設立されたそうです。
徳川幕府が支配した江戸時代、厳しい禁教令の中で1633年~1637年にかけて
長崎の西坂の丘で穴吊りや火あぶり、水責めの刑に耐えながら信仰を守り通して殉教した
人たち (長崎十六聖人) に捧げられた 教会でもあるそうですねicon12face06icon12

だからこそ創立者の島田要助神父は、殉教の歴史をもつ この場所に日本人のための教会を
建てようと志され、設計者のフランス人・パピノー神父と共に着手してから 8年後に完成されました。


そして、この場所は以前、キリシタン大名だった大村純忠ゆかりの地として大村藩が治めていた
領地内の蔵屋敷だった跡地なんですってiconN37face08icon12
最初 見た時は少々違和感を感じた、教会の表玄関を取り囲むようにして積まれている石垣の一部は
大村藩蔵屋敷だったという、当時の名残りを醸し出していた訳ですね・・・。


創建当初は赤いレンガ造りだったみたいですが、原爆の被害を受けて 焼け残った外壁と
尖塔を活かして、白亜の教会堂へと生まれ変わったそうです。
爆心地からだと、約2.6kmくらいの場所なので。。。やはり爆風は凄まじかったのでしょうね・・・。
市内における数少ない被爆遺構のひとつだそうですよiconN27


この教会にはイタリアで制作された10枚のステンドグラスの絵が聖堂内の扉に
配されているらしく、きめ細やかな色彩に深く刻まれた影、そこへ外から差し込む陽の光が
加わって見事な芸術が浮かび上がっているそうですよiconN37face08icon14
教会の中に一般が入れるのは、クリスマスの時だけみたいなので一度来てみたいですねiconN37face05iconN07


また正面にある十字架は、スペインのザビエル城にある 「ほほえみの十字架」 といって
ザビエルが少年の頃に こよなく愛した十字架らしく、ザビエルの死に血の汗?涙?を流したと
語られている 世界で唯一という レプリカもあるみたいですよ!!
この ほほえみの十字架っていうのにも、ちょっと興味がわきますよねiconN36face08炎


1987 (昭和62) 年、教皇ヨハネ・パウロ2世によって聖人に列せられた
長崎十六聖人に捧げられた、この中町教会の敷地の一角には長崎十六聖人殉教の碑と共に
16人をイメージしたモニュメントもあったり。。。
また名前が何ともスゴイ 「お告げの聖母保育園」 も敷地内に建っていましたよicon12face06icon12


聖トマス西と15殉教者に捧げられた教会。。。
ステンドグラスの色と共に、静かな祈りの空間を創り出していました・・・。
今年のクリスマスには、ここyubi_2face01中町教会へ足を運んでみようかなiconN33icon12
http://www.nakamachi.sakura.ne.jp/kyoukai.html
   


Posted by おてきち at 14:24 Comments( 2 ) 建造物

2015年11月25日

元気の源

今日から少し寒くなるそうですが。。。ということは、ようやく鍋の出番がやって来た訳ですねiconN36face10icon14
雨が降る前に畑の野菜を収穫すると聞き、おてきちもお手伝いがてら一緒に連れて行って貰い
鍋に使う新鮮野菜を ちゃっかりGET致しましたよ!!
もちろん無農薬で栽培されているので、安心出来る上に甘みもあってシャキッ、シャキの野菜なので
キャベツなんてドレッシングなしでもホント、美味しいんですよOKface08iconN07


大根おろし鍋にでもしようかなぁ~icon12face06icon12
今年は鍋キューブを使って楽しむツモリなので、何種類か買い置きをしてあるんですよねぇ~楽譜
寄せ鍋しょうゆに とんこつ味噌、鶏だし・うま塩、ピリ辛キムチ、濃厚白湯、まろやか豆乳鍋など
6種類の味があってyubi_2face02それらをアレンジしたレシピもあるので料理の幅が広がりそうですよiconN37face08iconN32
http://www.ajinomoto.co.jp/nabecube/


いつもは朝食はパン食なのですが、今朝は寒かったので?お味噌汁&ごはんに焼魚と和食でした。
そして昼前の任務として、キューピー3分クッキングを見て買い物メモを取り 1週間のメニューを決めるフォルダiconN27icon12
胃腸と家計に優しい料理が満載の キューピーレシピは、簡単で手早く出来てハズレも少ないので
皆さんもyubi_2face02icon28挑戦してみては いかがですか?
http://www.ntv.co.jp/3min/
   


Posted by おてきち at 14:43 Comments( 3 ) グルメ