2019年11月13日
夢のひとつ
最近はお寺というよりも、神社に参拝する機会が増えてしまって。。。
長崎の古寺は、行ける範囲内ではおよそ行ってしまったというのもあるけど
今はお寺よりもシンプルな造りを持った、素朴でその地域に根差した
お宮さんと呼ばれ親しまれているような、神社が見たいなぁ・・・と思うようになり

コソコソ?いや、コツコツとネットで検索しては、そういった神社を探したりしています


それで見つけたのが、自宅からだと車で約30分くらいかなぁ。。。
長崎市の隣にあたる、諫早市飯盛町という場所に 【熊野神社】 という
結構、古そうな建物のお宮さんを見つけたので、ちょっと行ってみることに


神社って早朝に行くと、これが不思議と朝陽がよく当たるような立地に建てられているのか
とても清々しく、気持ちがシャキッ!!とするもんですよ


しかも木造でイイ雰囲気でしょ~!!
こちらは無人のため、見学希望は事前に教育委員会へ連絡してください


と書いてあったので、事前に電話を入れたところ。。。
最近は扉が開けてあるようなので、ご自由にどうぞ


と言って頂いたので、神殿近くに車を止めさせて貰い見学させて頂くことに・・・。
説明版には下記のように記載されていました


熊野神社は天正2年9月勧請
明治39年に神殿、その他が全て改築され、その際に奉納されたものと思われる。
作者不詳であるが、天井絵、絵馬ともに芸術上価値が高く今後の保存が必要である。
昭和63年12月20日 諫早市教育委員会

実はここに記されている、天井絵や絵馬、それが拝見したくってやって来たワケですが
確かに扉は開いていましたけど・・・誰もいないのに勝手に上がるというのはねぇ。。。
少々、気が引けるもので(笑)
なので、靴は脱がずに扉だけオープンにして、写真を撮らせて貰うことにしました


その天井絵は、179格の中に花卉、動物、人物、山水などが描かれたもので。。。
色彩が薄れているものも多く、神殿は薄暗かったので写真もボヤっとした感じですが
それでも見事な筆致で描いてあるのが、見て取れるような天井絵でしたよ


なぜ?このような場所に、美しい天井絵を施した神社があったのでしょうかねぇ・・・。

おてきちが長崎で見た天井絵は、野母崎の脇岬町にあった観音寺で見た天井絵に
矢上町にある矢上神社、そして今回の飯盛町の熊野神社


どれも古く、素晴らしいモノでしたが。。。
こちらは絵馬にも歴史があるようですな


絵馬は 「秀吉耐忍之図」 と 「西郷卜月照之図」 の2枚で。。。
「秀吉耐忍之図」 は、羽柴秀吉 (後の豊臣秀吉) が大志を秘めて我慢している時の図とされ
肩をもんで耐えている様子を、描いているんだそうです


ちょっと分かり辛くってカタジケナイ(笑)

「西郷卜月照之図」 は、京都を中心に各地で反幕運動が激化した1858 (安政5) 年
大老井伊直弼による志士弾圧から逃れるため、西郷隆盛と月照は京都を脱出し
薩摩を目指し大阪より船出、その船上での二人の様子を描いています


薩摩藩主島津斉彬を頼り、薩摩を目指すが斉彬はすでに亡くなり・・・
幕府の追及は厳しくなる一方、ついに二人は綿江湾 (鹿児島湾) に入水することになります
隆盛は命をとどめましたが、月照は命を落としました
この2枚の絵馬は 「明治三十九年 丙午 十二月四日」 とあり・・・
熊野神社改築時に奉納されたものと思われます


ところで・・・この熊野神社って、和歌山の熊野のことでしょうかね?
そういった詳しいことについては、やはり地域の長老さんに聞かないことには
小さなお宮さんの場合は、特に分からない話だと思いますが。。。
天井絵の色彩から見て、岩絵の具が使われているのでしょうかね・・・



だけどここに秀吉関係の絵馬が、わざわざ祀られているということは。。。
諫早の領主との深い繋がりがあってのことでしょうから。。。
島原へ向かう途中とかに、立ち寄ったとか!?
なんだろなぁ~・・・。

ま、それはまたどこかでリンクするでしょうから、とにかくもっと多くの古い天井絵が
ボロボロになってしまわない内に、存在する場所を探しては見て回りたいモノですな


それを参考に、おてきちもいつか家の天井に板を嵌め込んで、お気に入りの植物画を
いっぱい描いてみたいというのも、夢のひとつかな



火鉢とかに絵を描くのも悪くないけど。。。
生まれ変わったら、宮大工さんか天井絵専門の絵師とかになりたいなぁ~


ええよ、ええよ~
という、師匠の声が聴こえて来そう(笑)
本日の 「おまけ」 は、諫早市の眼鏡橋がデザインされたマンホールです



長崎の古寺は、行ける範囲内ではおよそ行ってしまったというのもあるけど
今はお寺よりもシンプルな造りを持った、素朴でその地域に根差した
お宮さんと呼ばれ親しまれているような、神社が見たいなぁ・・・と思うようになり
コソコソ?いや、コツコツとネットで検索しては、そういった神社を探したりしています



それで見つけたのが、自宅からだと車で約30分くらいかなぁ。。。
長崎市の隣にあたる、諫早市飯盛町という場所に 【熊野神社】 という
結構、古そうな建物のお宮さんを見つけたので、ちょっと行ってみることに


神社って早朝に行くと、これが不思議と朝陽がよく当たるような立地に建てられているのか
とても清々しく、気持ちがシャキッ!!とするもんですよ



しかも木造でイイ雰囲気でしょ~!!
こちらは無人のため、見学希望は事前に教育委員会へ連絡してください


と書いてあったので、事前に電話を入れたところ。。。
最近は扉が開けてあるようなので、ご自由にどうぞ



と言って頂いたので、神殿近くに車を止めさせて貰い見学させて頂くことに・・・。
説明版には下記のように記載されていました


熊野神社は天正2年9月勧請
明治39年に神殿、その他が全て改築され、その際に奉納されたものと思われる。
作者不詳であるが、天井絵、絵馬ともに芸術上価値が高く今後の保存が必要である。
昭和63年12月20日 諫早市教育委員会
実はここに記されている、天井絵や絵馬、それが拝見したくってやって来たワケですが
確かに扉は開いていましたけど・・・誰もいないのに勝手に上がるというのはねぇ。。。
少々、気が引けるもので(笑)
なので、靴は脱がずに扉だけオープンにして、写真を撮らせて貰うことにしました


その天井絵は、179格の中に花卉、動物、人物、山水などが描かれたもので。。。
色彩が薄れているものも多く、神殿は薄暗かったので写真もボヤっとした感じですが
それでも見事な筆致で描いてあるのが、見て取れるような天井絵でしたよ



なぜ?このような場所に、美しい天井絵を施した神社があったのでしょうかねぇ・・・。
おてきちが長崎で見た天井絵は、野母崎の脇岬町にあった観音寺で見た天井絵に
矢上町にある矢上神社、そして今回の飯盛町の熊野神社



どれも古く、素晴らしいモノでしたが。。。
こちらは絵馬にも歴史があるようですな


絵馬は 「秀吉耐忍之図」 と 「西郷卜月照之図」 の2枚で。。。
「秀吉耐忍之図」 は、羽柴秀吉 (後の豊臣秀吉) が大志を秘めて我慢している時の図とされ
肩をもんで耐えている様子を、描いているんだそうです



ちょっと分かり辛くってカタジケナイ(笑)
「西郷卜月照之図」 は、京都を中心に各地で反幕運動が激化した1858 (安政5) 年
大老井伊直弼による志士弾圧から逃れるため、西郷隆盛と月照は京都を脱出し
薩摩を目指し大阪より船出、その船上での二人の様子を描いています


薩摩藩主島津斉彬を頼り、薩摩を目指すが斉彬はすでに亡くなり・・・
幕府の追及は厳しくなる一方、ついに二人は綿江湾 (鹿児島湾) に入水することになります

隆盛は命をとどめましたが、月照は命を落としました

この2枚の絵馬は 「明治三十九年 丙午 十二月四日」 とあり・・・
熊野神社改築時に奉納されたものと思われます


ところで・・・この熊野神社って、和歌山の熊野のことでしょうかね?
そういった詳しいことについては、やはり地域の長老さんに聞かないことには
小さなお宮さんの場合は、特に分からない話だと思いますが。。。
天井絵の色彩から見て、岩絵の具が使われているのでしょうかね・・・



だけどここに秀吉関係の絵馬が、わざわざ祀られているということは。。。
諫早の領主との深い繋がりがあってのことでしょうから。。。
島原へ向かう途中とかに、立ち寄ったとか!?
なんだろなぁ~・・・。
ま、それはまたどこかでリンクするでしょうから、とにかくもっと多くの古い天井絵が
ボロボロになってしまわない内に、存在する場所を探しては見て回りたいモノですな



それを参考に、おてきちもいつか家の天井に板を嵌め込んで、お気に入りの植物画を
いっぱい描いてみたいというのも、夢のひとつかな



火鉢とかに絵を描くのも悪くないけど。。。
生まれ変わったら、宮大工さんか天井絵専門の絵師とかになりたいなぁ~



ええよ、ええよ~

本日の 「おまけ」 は、諫早市の眼鏡橋がデザインされたマンホールです



Posted by
おてきち
at
12:53
│
Comments(
0
)
│
神社