2020年01月20日
島での暮らし
予習をした場所は 【軍艦島デジタルミュージアム】 という体感型がすこぶる充実した
最先端のデジタル技術によって、まだ見たことのない軍艦島の隅々までを行かずとも
このミュージアムで3D散歩など体験しながら、島内を歩ける?そうなんですよ


下の写真は、軍艦島の実寸の150分の1で再現されたジオラマ 「シマノリズム」 や
実際には立ち入ることの出来ない区域をVRで、仮想上陸を体験してみたり。。。
また上空飛行も楽しめたりも出来る、まさに近未来的なミュージアムを
今回初めて見て回りましたよ!!

限られた時間内で見て回ったものだから、体験型のモノはどれも試せなかったけど
あとで知ったのですが、おてきちに丁寧に説明をして下さっていた男性は
元島民の方だったそうなんです


何も情報を持たずに、ノコノコとやって来たおてきちが
素朴すぎる疑問を投げかけるのに対して、親切に笑顔で答えて頂いたワケですが。。。
まず質問をしたのが 「軍艦島には病院はあったのですか?」
それから・・・「建築業者は一社だけだったのですか?」
他にもスーパーはあったのか?などなど、言い出したらキリがないくらいに質問はあったけど
すると男性から逆質で 「なぜ?こちらに見えたのですか?」 と真っすぐな視線で聞かれたので
「軍艦島を生で見たことがないので・・・一度見たくって来ました!!」

すると、そうですか

と嬉しそうに?笑顔で返事をもらったけど。。。
なんだか本人的には意表を突かれて・・・自身の答えに納得できず、お尻がコソばかったです(笑)
パンフレットを読むと、1891年から1974年の閉山まで約1,570万トンもの石炭を
採掘した 「ヤマの男」 たち・・・
海底炭鉱だった軍艦島での採掘作業は、海面下1,000メートル以上の地点にまで
及んだそうで、勾配はキツく・・・
気温が30℃、湿度が95%というサウナ並みの環境の中、ガス爆発などの危険と常に
隣り合わせの仕事は、すこぶる過酷なものだったようですね



その分、収入も上に行けば行くほどに現在の金額にすれば官僚並み?だったようですよ!!
なので島民の暮らしも、それは想像を超えるくらいに当時としては豊かだったみたいですね。
軍艦島でも有名な建物が、1916(大正5)年に建てられた築100年は越える 【30号棟】
と呼ばれているアパートで、下の写真はその30分の1の模型になります。
壁面にはパネルがビッシリと展示されてあって、そこに詳しい説明は書いてあったと思うけど
おてきちは、模型の方ばかり気になってパネルの内容については全く見ていなかったです


とにかくこの30号棟が、日本最古の7階建て鉄筋コンクリート造りの高層アパートと
言われている建物ですが・・・鉱員の社宅として建てられたもので、内庭には吹き抜けの
廊下と階段があり、地下には売店などもあったそうです

そしてそのすぐ近くには、海に面して建っていた細長い31号棟があって。。。
そこには一般用の共同浴場や、郵便局、理髪店などが設けられていたそうです。
模型をよぉ~く覗いてみると・・・

わぉ!!可愛い!!シルバニアファミリーみたいやんか!!
しかし・・・人間の大きさに対して、やけに電球がデカイような(笑)
こういう遊び心も見逃さないのが、おてきちカメラマンの腕の見せ所なのですが。。。
屋上では、犬や猫と戯れる子供たちの姿もありましたよ



軍艦島には30棟以上のアパートが林立していたそうです。
間取りは様々だったようでようですが、30号棟はそれこそ高台に建っていたので
高級住宅とも言われていて、特に子供たちにとっては憧れの部屋だったそうですよ。
やはり眺めが良かったのでしょうかね?

これは1950年代後半の軍艦島アパートの再現セットですが。。。
おてきちも懐かしい感じがしますね!!
レトロなテレビからは、島での暮らしぶりの映像でしょうかねぇ~。
子供たちの髪型や洋服もレトロだし、この当時は火鉢もまだ使っていたのかな



足踏みミシンもあったけど、実は我が家にもまだ貴重な足踏みタイプのミシンが健在ざんす
おてきちは使いこなせないので、家で使うのは主人だけなんですけどね(笑)
色々と揃っていそうな軍艦島にも無かったモノがあったらしく。。。
それは洋菓子屋さんで、高級アパートに住むお母さんが船に乗って長崎市内から
買って来たケーキは、島に住む子供たちにとっては夢のようなお菓子だったそうですよ


その気持ち、スゴクよく分かります!!
島じゃなくても、陸地でも、子供にとってケーキたるものは永遠に夢のまた夢の
憧れのお菓子なんですから



あと軍艦島で切実な問題だったのが、電気や水道の確保だったみたいですね。
電気は当初、島の自家発電で供給されていたそうですが、人口の増加に伴い電力不足となり
1918(大正7)年に、高島から海底ケーブルが敷かれ送電されるようになったんだとか・・・。
また飲料水も当初は、なんと!!海水を蒸留していた使っていたそうですよ


のちに給水船で運ばれるようになって、高台にある貯水槽に蓄えられ配給されたそうです。
お風呂の水は、やはり海水を沸かしたものらしく上がり湯だけしか真水は利用できなかったようです。
昭和32年になって、ようやく海底送水管が敷かれたらしく給水制限はなくなったものの。。。
高級職員用のアパートであった3号棟以外は、室内風呂はなく・・・公衆浴場だったみたい


こうやって考えると、今の当たり前のような暮らしが非常なくらいに有り難くも思えて
社会見学に来たような気分になって、節水、節電を更に頑張ろう!!
という気持ちになりましたわ


そして、おてきちが軍艦島で興味を持っているのが、この神社の存在です!!
小さな島には、実に神社まで存在していたんですね・・・。
位置的にいえば、島の中心から少し長崎市内よりに建っているのかなぁ



神社が建っている理由のひとつに、危険と隣り合わせの鉱員さんたちにとっては
やはり神社は、心の拠り所であったみたいですね・・・。
祭りも行われており、毎年4月3日の山神祭は全島を挙げて、盛大に行われたそうです
神殿の下には拝殿もあったそうですが倒壊してしまって、現在は祠のみが残っているとのこと。
さてさて、明日は船に乗って実際に本物の軍艦島を近くで見に行きますよ!!

最先端のデジタル技術によって、まだ見たことのない軍艦島の隅々までを行かずとも
このミュージアムで3D散歩など体験しながら、島内を歩ける?そうなんですよ



下の写真は、軍艦島の実寸の150分の1で再現されたジオラマ 「シマノリズム」 や
実際には立ち入ることの出来ない区域をVRで、仮想上陸を体験してみたり。。。
また上空飛行も楽しめたりも出来る、まさに近未来的なミュージアムを
今回初めて見て回りましたよ!!
限られた時間内で見て回ったものだから、体験型のモノはどれも試せなかったけど
あとで知ったのですが、おてきちに丁寧に説明をして下さっていた男性は
元島民の方だったそうなんです



何も情報を持たずに、ノコノコとやって来たおてきちが
素朴すぎる疑問を投げかけるのに対して、親切に笑顔で答えて頂いたワケですが。。。
まず質問をしたのが 「軍艦島には病院はあったのですか?」
それから・・・「建築業者は一社だけだったのですか?」
他にもスーパーはあったのか?などなど、言い出したらキリがないくらいに質問はあったけど
すると男性から逆質で 「なぜ?こちらに見えたのですか?」 と真っすぐな視線で聞かれたので
「軍艦島を生で見たことがないので・・・一度見たくって来ました!!」
すると、そうですか



なんだか本人的には意表を突かれて・・・自身の答えに納得できず、お尻がコソばかったです(笑)
パンフレットを読むと、1891年から1974年の閉山まで約1,570万トンもの石炭を
採掘した 「ヤマの男」 たち・・・
海底炭鉱だった軍艦島での採掘作業は、海面下1,000メートル以上の地点にまで
及んだそうで、勾配はキツく・・・
気温が30℃、湿度が95%というサウナ並みの環境の中、ガス爆発などの危険と常に
隣り合わせの仕事は、すこぶる過酷なものだったようですね



その分、収入も上に行けば行くほどに現在の金額にすれば官僚並み?だったようですよ!!
なので島民の暮らしも、それは想像を超えるくらいに当時としては豊かだったみたいですね。
軍艦島でも有名な建物が、1916(大正5)年に建てられた築100年は越える 【30号棟】
と呼ばれているアパートで、下の写真はその30分の1の模型になります。
壁面にはパネルがビッシリと展示されてあって、そこに詳しい説明は書いてあったと思うけど
おてきちは、模型の方ばかり気になってパネルの内容については全く見ていなかったです


とにかくこの30号棟が、日本最古の7階建て鉄筋コンクリート造りの高層アパートと
言われている建物ですが・・・鉱員の社宅として建てられたもので、内庭には吹き抜けの
廊下と階段があり、地下には売店などもあったそうです


そしてそのすぐ近くには、海に面して建っていた細長い31号棟があって。。。
そこには一般用の共同浴場や、郵便局、理髪店などが設けられていたそうです。
模型をよぉ~く覗いてみると・・・
わぉ!!可愛い!!シルバニアファミリーみたいやんか!!
しかし・・・人間の大きさに対して、やけに電球がデカイような(笑)
こういう遊び心も見逃さないのが、おてきちカメラマンの腕の見せ所なのですが。。。
屋上では、犬や猫と戯れる子供たちの姿もありましたよ



軍艦島には30棟以上のアパートが林立していたそうです。
間取りは様々だったようでようですが、30号棟はそれこそ高台に建っていたので
高級住宅とも言われていて、特に子供たちにとっては憧れの部屋だったそうですよ。
やはり眺めが良かったのでしょうかね?
これは1950年代後半の軍艦島アパートの再現セットですが。。。
おてきちも懐かしい感じがしますね!!
レトロなテレビからは、島での暮らしぶりの映像でしょうかねぇ~。
子供たちの髪型や洋服もレトロだし、この当時は火鉢もまだ使っていたのかな



足踏みミシンもあったけど、実は我が家にもまだ貴重な足踏みタイプのミシンが健在ざんす

おてきちは使いこなせないので、家で使うのは主人だけなんですけどね(笑)
色々と揃っていそうな軍艦島にも無かったモノがあったらしく。。。
それは洋菓子屋さんで、高級アパートに住むお母さんが船に乗って長崎市内から
買って来たケーキは、島に住む子供たちにとっては夢のようなお菓子だったそうですよ



その気持ち、スゴクよく分かります!!
島じゃなくても、陸地でも、子供にとってケーキたるものは永遠に夢のまた夢の
憧れのお菓子なんですから



あと軍艦島で切実な問題だったのが、電気や水道の確保だったみたいですね。
電気は当初、島の自家発電で供給されていたそうですが、人口の増加に伴い電力不足となり
1918(大正7)年に、高島から海底ケーブルが敷かれ送電されるようになったんだとか・・・。
また飲料水も当初は、なんと!!海水を蒸留していた使っていたそうですよ



のちに給水船で運ばれるようになって、高台にある貯水槽に蓄えられ配給されたそうです。
お風呂の水は、やはり海水を沸かしたものらしく上がり湯だけしか真水は利用できなかったようです。
昭和32年になって、ようやく海底送水管が敷かれたらしく給水制限はなくなったものの。。。
高級職員用のアパートであった3号棟以外は、室内風呂はなく・・・公衆浴場だったみたい


こうやって考えると、今の当たり前のような暮らしが非常なくらいに有り難くも思えて
社会見学に来たような気分になって、節水、節電を更に頑張ろう!!
という気持ちになりましたわ



そして、おてきちが軍艦島で興味を持っているのが、この神社の存在です!!
小さな島には、実に神社まで存在していたんですね・・・。
位置的にいえば、島の中心から少し長崎市内よりに建っているのかなぁ



神社が建っている理由のひとつに、危険と隣り合わせの鉱員さんたちにとっては
やはり神社は、心の拠り所であったみたいですね・・・。
祭りも行われており、毎年4月3日の山神祭は全島を挙げて、盛大に行われたそうです

神殿の下には拝殿もあったそうですが倒壊してしまって、現在は祠のみが残っているとのこと。
さてさて、明日は船に乗って実際に本物の軍艦島を近くで見に行きますよ!!
Posted by
おてきち
at
09:21
│
Comments(
4
)
│
美術館・博物館
この記事へのコメント
世界遺産になる前、ドキュメンタリー番組で当時の生活を見て、狭いながらも一種のユートピアだったのかなあと感じたことを思い出しました。
山奥の鉱山町にもあるよね。今は廃坑…ラピュタみたいだと。
使われていないトンネルとかも面白そうです。
山奥の鉱山町にもあるよね。今は廃坑…ラピュタみたいだと。
使われていないトンネルとかも面白そうです。
Posted by
ほ
at
2020年01月20日 10:26
元鉱山と言えば、メロンで知られる夕張も廃坑の街です。廃坑になっても、まだまだ町として活動し、池坊の夕張支部があって、取材しました。
まだ市立博物館も動いていて「今はここにしか鉱山は・・・」と言っていたのですが、その後数年で、廃館ニュースが出てました。
お土産で夕張メロンはおいしかったけど・・・。学芸員は心配しないけど、地元のいけばなの先生たちは・・・。
まだ市立博物館も動いていて「今はここにしか鉱山は・・・」と言っていたのですが、その後数年で、廃館ニュースが出てました。
お土産で夕張メロンはおいしかったけど・・・。学芸員は心配しないけど、地元のいけばなの先生たちは・・・。
Posted by
た
at
2020年01月20日 16:25
ほ様
確かに!!その当時、島での暮らしはユートピアだったと・・・
船内で解説をされていた、元島民でもあった80歳くらいの紳士が
その頃を懐かしむように話されていましたよ!!
廃坑や廃墟といった場所は、コスプレをされた若者には大人気スポットらしく
長崎でもそのようなサビれた?場所が、探せばいくつかあるので。。。
おてきちも一度、遭遇したことがありますよ(^-^)
確かに!!その当時、島での暮らしはユートピアだったと・・・
船内で解説をされていた、元島民でもあった80歳くらいの紳士が
その頃を懐かしむように話されていましたよ!!
廃坑や廃墟といった場所は、コスプレをされた若者には大人気スポットらしく
長崎でもそのようなサビれた?場所が、探せばいくつかあるので。。。
おてきちも一度、遭遇したことがありますよ(^-^)
Posted by
おてきち
at
2020年01月21日 09:50

た様
夕張も鉱山の町だったんですか・・・。
そんな遠くまで仕事に行かれていたとは、羨ましい!!
おてきちもお供したかった(T_T)
炭坑マンは羽振りが良かったみたいだから。。。
町もさぞかし賑わっていたことでしょうね(^-^)
夕張メロンがいっぱい乗っかったパフェとかも、あったのでしょうかね♬
夕張も鉱山の町だったんですか・・・。
そんな遠くまで仕事に行かれていたとは、羨ましい!!
おてきちもお供したかった(T_T)
炭坑マンは羽振りが良かったみたいだから。。。
町もさぞかし賑わっていたことでしょうね(^-^)
夕張メロンがいっぱい乗っかったパフェとかも、あったのでしょうかね♬
Posted by
おてきち
at
2020年01月21日 09:57
