2018年11月03日

脇荷の存在

朝晩の冷え込みは厳しいものの、日中のわずかな時間だけですが
我が家にもicon01太陽の日差しが差し込んで来るので。。。
その貴重な時間帯を利用して、ロクは玄関先に敷物を敷いてあげての日向ぼっこタイムですいぬicon12
そして母上は、連日ご近所さんから頂く渋柿の皮をむいて吊るし柿 を仕込んだりして過ごしています。
おてきちは、本日は珈琲&ドーナツを食べながらのブログタイムでやんすicon22kao_17楽譜

脇荷の存在

先日、出島に行った時に展示されていたガラス製品を撮ったモノですが。。。
出島からは、ヨーロッパ製の様々なガラス製品が出土しているそうですicon12face06icon12
その多くはワインなどの酒のボトルや、窓用の板ガラスだそうですが。。。
その中から酒杯やタンブラーの一部も見つかっているそうですフォルダiconN27

これらのガラス器のほとんどは、商館員が出島内で使用されていたモノですが
もちろん日本国内でもヨーロッパ製のガラス器は珍重され、会社の商品ばかりでなく
脇荷として販売されていたそうです。

脇荷の存在

脇荷・・・?気になったので調べたところ。。。
生糸(絹)・砂糖・皮革・薬品を輸入し、銅や樟脳などを輸出した公貿易を本方荷物 (もとかたにもつ)
または本荷 (ほんに) と呼び、それとは別の商館員や船長が個人的に許された貿易品を 【脇荷】 と呼ぶフォルダiconN27

本荷で扱われていた銅や樟脳、禁輸品である刀剣など以外はどのような品物でも売買を許され
貿易船の船倉の空いた空間に詰めて、輸送されていたそうです錨船
来日したオランダ人たちは、衣服の下や私物の間に高価な商品を隠しては持ち込んで
売りさばくため・・・上陸して、2、3日経つと痩せて来る?とも書いてありましたよ(笑)
1696 (元禄9) 年から 1786 (天明6) 年の間、出島には商館員たちの脇荷を収納するための
脇荷蔵 (わきにぐら) が、2 棟並んで建っていたんだとかiconN37kao_16icon14

脇荷の存在

この取り引きでは、塗物、蒔絵、屏風、竹細工、反物や木綿、お酒に醤油といった
オランダ人が欲しいとされるモノを用意して、長崎会所を通じて取り引きが行われていたそうです。
また脇荷で輸入されたモノには、時計、硝子器、薬品などがあったようですiconN37face01

しかしこのような取っ手というか、持ち手のグラスだと持つ手が痛そうなものですけどね(笑)
あっ!!でも、もしかしたら逆に指のツボを適度に刺激してくれて脳が活性化?したりして!!
何にせよ、長崎の町年寄たちはこういった脇貿易などで結構な小遣い稼ぎ?をしていたのでしょうね・・・。
うらやましかぁ~icon12kao_2icon12


同じカテゴリー(史跡巡り)の記事画像
心ほどける時間
自由亭でお茶を
文化財保存修理の現場
雨降りは「おたくさ」の日
花びらの道
市民の特権
同じカテゴリー(史跡巡り)の記事
 心ほどける時間 (2020-11-05 10:46)
 自由亭でお茶を (2020-06-27 14:17)
 文化財保存修理の現場 (2020-06-26 14:16)
 雨降りは「おたくさ」の日 (2020-06-13 15:28)
 花びらの道 (2020-04-24 15:44)
 市民の特権 (2020-02-01 14:50)


Posted by おてきち at 14:52 │ Comments( 2 ) 史跡巡り
この記事へのコメント
この前、長崎の旅番組を見ていたら、長崎ガラスの青いちろりを制作している方が紹介されていました。長い注ぎ口の曲線、前からきれいだなあと思ってたんですよ。壊しそうでとても使えそうにないけれど…。
製作途中で、カーブがご理想形じゃないと容赦なくガッシャーン❕
それでいいからお恵みくださいな。
Posted by ほ at 2018年11月04日 10:14
ほ様
行きましたよ、確か瑠璃庵さんじゃなかったかな(^-^)?
あの深みのあるブルーも美しいですよねぇ~!!
ホント、ガッシャ~ン☆とする前にお恵み下され!!って感じですよ(-_-+)

しかし、あのチロリの注ぎ口を見ていて思い出したのが。。。
病室で使う水差し?というのか、急須?というのか分かりませんけど。。。
おてきちも出来れば病室で体調の悪い時とかに、ああいった極上の品を使って
気持ち(精神的に)だけでも、常に満たされていたい!!
と思ったりもするワケですが・・・いかがなものでしょうかね(笑)
Posted by おてきちおてきち at 2018年11月04日 13:39
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。