2020年04月24日

花びらの道

桜の花びらが春風に舞って散る中を歩いていると、今年は特にあの有名な
辞世の句が浮かんで来ますなぁ~(笑)
散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ

花びらの道

でも、おてきち的には良寛和尚の
散る桜 残る桜も 散る桜
こっちの方が自然体で、ごもっとも感が滲み出ていて好きですけどねiconN36kao_22icon14

花びらの道

買い物の帰りに、いつもと違うルートを選んで中島川沿いに来てみると
ちょうど散り際の桜に出合えて、春から初夏に向かう心構え?を
青葉の眩しさに教えられるワケですなぁ~icon23kao_10icon12~おてきち和尚より~

花びらの道

長崎市内では、去年、一昨年ぐらいから色んな地域で開発が始まっていて
多分、建物が老朽化して来たという年代にも入って来ているのでしょうけど
そういう場所に存在する史跡なども、場合によっては移築(移動)させられる事も
少なくはないワケですなぁ~icon23kao_7icon11

花びらの道

この中島川沿いの新大工周辺には、日本における写真業界の基礎を築いた人物
上野彦馬」の邸宅があった場所として、看板が立てられています。
そこでは撮影局としての活動拠点でもあったようなので、龍馬なども訪れていますねフォルダiconN27

花びらの道

とにかく観光地なので、歩けば何かしらの看板に当たるのは珍しくもなく。。。
親切に色々と歴史などの説明がなされていますわiconN37kao_17楽譜
この 【長崎聖堂】 というのは、江戸時代を通じて長崎における学問所の
跡地のようですねiconN37kao_2

花びらの道

当時の中国と日本とを結ぶ、通商や文化交流にも大変に重要な役割を果たしていた
教育の現場だったようですよicon12face06icon12
最初は立山(現在の博物館がある町)にあったそうですが、その頃は「立山書院」と
呼ばれていてその後、この中島川沿いに移動してからは「中島聖堂」と呼ばれるように
なったそうですが・・・それがなぜ?「長崎聖堂」という名の碑が立っているのかiconN37kao_16iconN05

花びらの道

説明を読むと、それは立山から移転再建された折には「長崎聖堂」と称したそうですが。。。
やはり地名に習ってなのか、いつの間にやら「中島聖堂」と人は呼ぶようになったそうですなiconN37kao_7icon12
ちなみに現在、当時の聖堂の遺構である大学門は、興福寺内で写真のように保存されています。
史跡の引っ越しも町の開発事業によっては、致し方ないことなのでしょうけどねicon23kao_9icon11
でも風格のある門なので・・・残っていただけでも良かったですなiconN07


同じカテゴリー(史跡巡り)の記事画像
心ほどける時間
自由亭でお茶を
文化財保存修理の現場
雨降りは「おたくさ」の日
市民の特権
心田庵に春が来た
同じカテゴリー(史跡巡り)の記事
 心ほどける時間 (2020-11-05 10:46)
 自由亭でお茶を (2020-06-27 14:17)
 文化財保存修理の現場 (2020-06-26 14:16)
 雨降りは「おたくさ」の日 (2020-06-13 15:28)
 市民の特権 (2020-02-01 14:50)
 心田庵に春が来た (2020-01-26 11:41)

Posted by おてきち at 15:44 │ Comments( 2 ) 史跡巡り
この記事へのコメント
 最初の写真、石垣?・・・と思ってみたら、彦根城の多門櫓の石垣が、強震に弱く、積み替え工事が始まるらしい。
 数年前の台風で、天守の脇の壁が剥がれた事は、玄宮園から見えるから知っていたけど・・・。多門櫓って、若い直弼がいた埋もれ木屋の前の壕に見える石垣。櫓は一緒に工事なのかな・・・絶対見て見たい。
Posted by た at 2020年04月25日 12:48
た様
石垣に見えて嬉しいです(^0^)♬
恐らくコンクリート?で固められた壁だと思います。

ところで彦根城の石垣の積み替え工事が始まるんですか!?
それはスゴイ。。。やはり穴太衆の仕事ですかね(笑)
直弼の埋木舎かぁ~、徳川幕府の大老として開国の父となった直弼の才能は
この場所で培われたワケですからね・・・ウモレギかぁ~。。。
いと重菓舗の埋れ木が食べたくなって来たわ(笑)

是非ともチャンスがあれば、その工事状況を写真に撮っておくべきですな♬
でも無理は禁物ですけどね!!
Posted by おてきちおてきち at 2020年04月25日 14:28
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。