2020年04月25日
六平太!?
今年に入ってから図書館には、何度か通っていますが・・・
過去にこれだけ本を借りて読んだ記憶は、多分ないと思いますね


いつものように川端康成の本を探していると、同じ「か」~の本棚の上段を見ると
金子成人という作家が書いた 【付添い屋 六平太】 というのが目に入り。。。
ロクの滋賀での名前は「六兵侘(ろくへいた)」だったので、思わず借りてしまいましたよ(笑)
ちなみに、おてきちは川端康成だけで精一杯なので・・・
時代小説好きの主人が、おてきちの代わりに?読んでくれてましたけどね



どうして今頃になって、川端康成を読み出したのか!!
もちろんそれには理由があって。。。
ネットで偶然に見つけた川端康成が犬好きで、愛犬家だったという情報と飼っていたという
愛犬と一緒に写っているモノクロ写真も、ネットに掲載されていて。。。
その犬というのがロクと同じ犬種の「ワイヤー・フォックス・テリア」だったんですよ!!
しかも5匹も腕の中に包み込むようにして、着物姿で写っている川端康成の写真を見た瞬間
おぉおぉおぉ~~~!!川端先生ぃ~




と、いきなり親近感がわき・・・どんな作品を書かれていた人物だったのか。。。
それが知りたくなって、今頃になり読み出したというワケなんですね



そして1932年に、自身が飼われていた愛犬(エリー)をモデルにして書かれた
【愛犬エリ】 というのも、短編小説のようですがあるみたいなので・・・
図書館では見当たらなかったので、ネットなりで探してみて手に入れて読んでみたいです!!
1992(昭和7)年に「婦人生活」に愛犬家としての心得を寄稿した後
1993(昭和8)年に「わが犬の記、愛犬家心得」を発表されている
とネット情報で
知ったのですが・・・こういった幻の随筆集のようなモノもあるみたいなので
どこかで探して読んでみたいですね


過去にこれだけ本を借りて読んだ記憶は、多分ないと思いますね



いつものように川端康成の本を探していると、同じ「か」~の本棚の上段を見ると
金子成人という作家が書いた 【付添い屋 六平太】 というのが目に入り。。。
ロクの滋賀での名前は「六兵侘(ろくへいた)」だったので、思わず借りてしまいましたよ(笑)
ちなみに、おてきちは川端康成だけで精一杯なので・・・
時代小説好きの主人が、おてきちの代わりに?読んでくれてましたけどね



どうして今頃になって、川端康成を読み出したのか!!
もちろんそれには理由があって。。。
ネットで偶然に見つけた川端康成が犬好きで、愛犬家だったという情報と飼っていたという
愛犬と一緒に写っているモノクロ写真も、ネットに掲載されていて。。。
その犬というのがロクと同じ犬種の「ワイヤー・フォックス・テリア」だったんですよ!!
しかも5匹も腕の中に包み込むようにして、着物姿で写っている川端康成の写真を見た瞬間
おぉおぉおぉ~~~!!川端先生ぃ~





と、いきなり親近感がわき・・・どんな作品を書かれていた人物だったのか。。。
それが知りたくなって、今頃になり読み出したというワケなんですね




そして1932年に、自身が飼われていた愛犬(エリー)をモデルにして書かれた
【愛犬エリ】 というのも、短編小説のようですがあるみたいなので・・・
図書館では見当たらなかったので、ネットなりで探してみて手に入れて読んでみたいです!!
1992(昭和7)年に「婦人生活」に愛犬家としての心得を寄稿した後
1993(昭和8)年に「わが犬の記、愛犬家心得」を発表されている


知ったのですが・・・こういった幻の随筆集のようなモノもあるみたいなので
どこかで探して読んでみたいですね



Posted by
おてきち
at
14:29
│
Comments(
4
)
│
ロク
この記事へのコメント
調べものをしたいのに、閉館。不便この上ない。
調べもの・・・・「日本画」の語を使い始めたのは誰なのか・・・と言う疑問です。
画家でもなく、文化人でもなく、官僚らしい。その細目を調べたいのに。
調べもの・・・・「日本画」の語を使い始めたのは誰なのか・・・と言う疑問です。
画家でもなく、文化人でもなく、官僚らしい。その細目を調べたいのに。
Posted by
た
at
2020年04月25日 18:33
た様
やけにそこに拘っておられるようですね(^-^)
でも、そういう部分こそが、た様らしくって安心しますわ(笑)
官僚ですかぁ。。。そうなんや。。。
で、いったいどういった経緯で何という名前のどういった人物だったんでしょうね?
聞いたからには気になります!!
た様の人生も課題が多いですね(^-^)♬ちょっと嬉しいカモ~♬
やけにそこに拘っておられるようですね(^-^)
でも、そういう部分こそが、た様らしくって安心しますわ(笑)
官僚ですかぁ。。。そうなんや。。。
で、いったいどういった経緯で何という名前のどういった人物だったんでしょうね?
聞いたからには気になります!!
た様の人生も課題が多いですね(^-^)♬ちょっと嬉しいカモ~♬
Posted by
おてきち
at
2020年04月26日 10:32

明治15年に「龍池会」でフェノロサが行った《美術真説》という講演で日本画という表現を始めて使っています。油絵より日本画が優れていると言っています。フェノロサと岡倉天心は、文部省官僚として、東京美術学校を開校するなどしていますから、フェノロサかもしれない。東大で哲学も教えています。なお、日本美術の大恩人フェノロサの墓は、彼が絶賛した琵琶湖、それが見える法明院の庭園を通り抜けた奥の方にあります。
Posted by
ハチ
at
2020年04月26日 19:14
ハチ様
どうしてフェノロサは、琵琶湖を絶賛したのでしょうね(^-^)?
もしかして、鮒ずしが大好物だったとか(笑)
どうしてフェノロサは、琵琶湖を絶賛したのでしょうね(^-^)?
もしかして、鮒ずしが大好物だったとか(笑)
Posted by
おてきち
at
2020年04月27日 15:48
