長崎街道の
【塚崎宿・本陣】 は、現在の武雄温泉の敷地に湯屋 (浴場) と隣接して
あったそうで、説明版によると、身分によって湯坪は違っており、藩主・領主専用の
浴場は 「
御前湯」 とも呼ばれたそうです
シーボルトの 「
江戸参府紀行」 によると、藩主・領主専用の浴場は大きく快適であった。
もともと水晶のように透き通った湯を、前もって馬の尾で作った篩 (ふるい) でこしており
その清潔さは驚くほどであったと 記録されているそうです
その殿様の湯が、現在も武雄温泉に設置されているというのを知りやって来ましたよ(笑)
と、その前にこちらが
【武雄温泉楼門】 (国重要文化財) になります
一度、見てみたかったんですよねぇ・・・。
その辺りの楼門とは違って、天平様式と呼ばれる武雄の楼門は釘を1本も使っていない
建築物なんですってよ!!
そしてこの
楼門 &その奥に建つ
武雄温泉新館 を設計されたのが。。。
唐津出身の 明治~大正期にかけて、我が国の建築界における第一人者として知られる
【辰野 金吾】 氏の設計で、大正4年に建てられたそうです
パンフレットを見ると、平成25年には平成の大修理が行われたようですけどね・・・。
辰野先生の現存する代表作には、
日本銀行本店 や
東京駅 などが有名ですね
実はこの楼門の2 階も見学したかったのですが、予約が必要だったみたいで鍵がかかってました
2 階の天井の四隅には、
子 (ねずみ)、
卯 (うさぎ)、
午 (うま)、
酉 (とり)の彫り絵があって
これは干支の十二支のうちの4 つで、方角で言えば 「
東西南北」 にあたるそうです
一方で、復原された東京駅南北ドームの天井には、
巳 (へび) や
辰 (たつ) など8 つの
レリーフがあるそうですが・・・なぜ全部で8 つだったのか!?
そのことが長い間、謎とされていたそうですが。。。
こちらの楼門の4 つの干支と、東京駅の8 つの干支を合わせると十二支が揃う・・・ということが
判明してからは、かなりの話題を呼んだ場所が 武雄温泉の楼門の2 階にあったワケなんです
辰野氏はポワロとか、探偵小説が好きだったのでしょうかね(笑)
とにかく武雄温泉の歴史は古く、1300年も前に書かれた 「
肥前風土記」 の中にも登場するそうで
古くは神宮皇后も入浴された!?みたいですよ
また秀吉の朱印状 (武雄市重要文化財) によると、朝鮮出兵の際、名護屋城に集められた多数の兵士が
武雄温泉を訪れたので、兵士に対して地元の入浴客に迷惑をかけないようにと、秀吉が示した朱印状の
【入浴心得】 が残されているそうです
その他にも、歴史上名高い宮本武蔵やシーボルト、伊達政宗や伊能忠敬なども入浴したという記録も
残されている?名湯のようですよ(笑)
上の写真が
【殿様湯】 (貸切) ですちなみに1室 1時間 3800円です
今回は現地見学のみで、入浴はせず。。。
いつかロクも変装させて、2本足で歩かせながら。。。
ロクの湯治も兼ねて?一緒にこの世の名湯を堪能したいものですな