佐嘉神社境内には、神様の得意分野ごとに分けられ祀られているようで。。。
全部で敷地内に8社あるみたいですが、とにかく目指すのは
【松原神社】です
こちらにも白磁製の見事な燈籠がありましたよ!!
平戸、三川内焼きのような細工モノの龍が巻き付いていて素晴らしいです
基礎台には1850(寛永三)年8月、有田内皿山と記されているみたいですが
気付きませんでしたね
それにしてもあまりにキレイ・・・と思い説明版を読むと
どうも2004(平成16)年、8月に有田の岩尾磁器会社の手によって
修理・保護のためここに移した。と書いてありました
ということは、もとはどこにあった燈籠なんでしょうね?ちょっとだけ気になります(笑)
松原神社には、藩祖である鍋島直茂命、初代藩主・鍋島勝茂命(息子さん)
また龍造寺隆信命が祀られています。
直茂公は「
日峯さん」と呼ばれ親しまれているそうですが。。。
日峯とは、直茂公の戒名なんだそうですね
しかし考えてみれば不思議ですよね・・・戒名で呼ばれるなんて(笑)
秀吉の太閤さんは戒名ではないしね(笑)
「
鍋島化け猫騒動」という忠誠心を重んじた上での、仁義なき戦いの末の跡目争いというか
昔っからこういう派閥は根強かったワケで、関ヶ原の戦いの後より風向きが変わり
トップが変われば、これまでと同じようには行かなくなるのが世の常で。。。
直茂公の父親(清房)は鍋島家の5代当主で、龍造寺家の家臣でもあったワケですよ。
そして母親は龍造寺家純の娘だったから、龍造寺隆信と鍋島直茂公にとって家純は
祖父にあたる存在になるから、2人の関係性としては義兄弟になるんでしょうね
最初の頃は、2人は仲が良く隆信と並んで「
龍造寺の仁王門」と称されたそうですが
晩年になってからの隆信は、酒色に溺れるようになったらしく。。。
直茂公は徐々に、隆信とは距離を置くような関係性になっていったようですね
また逸話のエピソードには、大村純忠攻めの時、自分チームの先陣が討ち負ける
様子をただ静観し続けていたとかで、それを隆信から早よ助けに行かんかいッ!!と
どやされてから、ようやく助勢に加わるといったようなコスイ真似をしているみたい(笑)
頭がイイのか、もしくはヘタレなのか・・・
いつまでも龍造寺家に遠慮して?仕えることに、少々嫌気が差していたのでしょうかね
そのような2人と直茂公の息子さんが、この松原神社には祀られているようです。
ちなみにこの息子さんが、鍋島家の初代藩主となった人物なんですけどね
太閤さんは、龍造寺家の当主であった龍造寺高房よりも直茂公の能力を
高く買っていたらしく、その証じゃないけど秀吉の朝鮮出兵の時の総大将は
高房ではなく直茂公であったことからも、そういう思いが想像できなくもない
秀吉の命によって朝鮮出兵した直茂公は、多数の朝鮮の人々を伴い帰還したワケですが
その中に「
李參平」という陶工もいたんですねぇ~
もしかして自らが面接というか、この人の技術は日本の未来に絶対必要だ!!
とかって厳選されたのでしょうかね!?
細かいことが気になります(笑)
何にせよ、日峯さんには感謝の限りですね