緑なき島

おてきち

2020年01月22日 12:26

伊王島へ向かうための伊王島大橋も、カーブを切っていて美しい橋ですが
横から見ると、まるでモノレールみたい・・・。
伊王島を越えると右側に見えて来る島が 【高島】 になります。
確か高島行の船が、伊王島港からも出ていると思いますが・・・
実はこの高島にも世界遺産があるんですよ


1710年頃、高島で石炭採掘事業が始まりました
1868年、佐賀藩とグラバー商会は高島炭坑開発の共同経営を開始!!
英国人の技師であったモーリスを招いて、日本最初の蒸気機関による竪坑を
高島に開坑した翌年には、深さ43メートルで着炭し、北渓井坑(ほっけいせいこう)と命名
これが2015年に 【明治日本の産業革命遺産】 として、世界遺産に登録されたひとつなんです。


その後、高島炭鉱は後藤象二郎の手を経て、1881(明治14)年には岩崎彌太郎へと
引き継がれ、三菱の所有となったそうです
また高島炭鉱では非常に良質の石炭が採掘されたことから 「黒ダイヤ」 と呼ばれています
日本で始めての蒸気機関による洋式竪坑 「高島炭坑(北渓井坑)」 こそが
その後、端島炭坑や三池炭鉱にも伝わっていって・・・日本の炭鉱開発にツナガッテいったという
初期の近代的炭坑施設としては価値の高い、高島は炭鉱発祥の地なんですね!!


おてきちの知る高島のイメージとしては、たかしま農園が作っているフルーティトマトが有名で
長崎へ来た頃にネットで調べて、それこそ、どれほど甘いトマトなのかなぁ
と興味津々で、即ファンクラブに入会してしまいましたよ(笑)
糖度9度以上の 「情熱トマト」 をチョイスして、旬に届いたので食べたことがあります(笑)
おっと!!そうこうしている内に30分が過ぎて・・・お目当ての島が見えて参りましたぜ!!


なんか砂浜から撮っているのかと思うような。。。波打ち際っぽい撮影ですが(笑)
望遠レンズで撮れば野母崎半島の方からでも、充分、軍艦島は撮れるんですけどね
そういえばこの時期、運が良ければサプライズゲストが見えるそうで。。。
いったい何だろう?蜃気楼かな?と思ったら、それこそおてきちが乗船した
3日後くらいの海には、飛び跳ねるイルカの姿が見られたみたいですよ


でもせっかくなら気分を盛り上げるために、海なんだしシャチとかでも良かったかな
いや待てよ、クジラ島(中ノ島)もあったから、それを背景にして本物のクジラが
観たかったなぁ~
おぉおぉ・・・こんなに近くに軍艦島が見えている・・・信じがたいが現実だよなぁ・・・。
緑なき島と呼ばれていた頃に比べると、人が住んでいないせいか自然の緑がありますね!!


端島の大きさは、南北に約480メートル、東西に約160メートル、周囲が約1,200メートル
面積が約65,000㎡という、岸壁が島全体を囲う海底炭鉱の島で、高層鉄筋アパートが立ち並ぶ
その外観が軍艦 「土佐」 に似ていることから 「軍艦島」 と呼ばれるようになったんだとか
今日はこの軍艦島を360度、ジュピターに乗って周遊して見られるというのは贅沢な限り!!
陸地からでは絶対に見ることの出来ない、裏軍艦も見られるのでワックワクでしょ


時計回りとは反対周りで、船は大海原へと更に向かおうとした瞬間!!
やはり潮の道?とかってあるんでしょうかね・・・いきなり立っていると危険なくらいに揺れて
さすがにおてきちも手すりを握り、だ、大丈夫なんやろな!?カナヅチやし・・・泳げへんし
タイタニックならぬジュピター沈没?転覆?なんて、イエローサングラスが泣くで
でも船内には1人で取り残して来ている、近所のおばさまを心配するワケでもないおてきち(笑)


この面に見えている建物は・・・左端から端島小中学校、中央と右側が病院と隔離病棟です。
1958(昭和33)年に完成したそうですが、毎日が命がけでの採炭作業なだけに
鉱員やその家族の健康を守ってくれる病院の存在は、とても重要な場所だったでしょうね。
いよいよ裏軍艦の姿が・・・で、でも逆光になってますやんか
停泊するためにエンジンを少し落とすからなのか、波に揺られてカメラどころじゃなかばいッ


目を凝らしながらよく見ると、あっ!!ありましたよ~!!
端島のちょうど中央の頂上あたりに、祠のようなシルエットが見えましたよ
1936(昭和11)年に建設された 【端島神社】 ですね・・・。
このように小さな島に、病院から神社から揃っているなんて・・・
無人島だった時代から想像すると、思わず文明の利器という言葉が浮かびましたよ(笑)


モノクロだけど、レゴブロックの世界にも似ているような・・・
映画 【進撃の巨人】 の舞台にもなっているし、最近だとウィルスミス司会のNHKのEテレ
アメリカナショナルジオグラフィックチャンネル 「奇跡の星」 にも軍艦島が登場している
みたいですよ!!
裏から見えている建物は、大半が鉱員住宅ですが映画館もこちら側に建っていたようですね


娯楽施設としては映画館の他に、鉱員住宅の地下にはパチンコホールもあったんですって!!
ただガーデニングをするような土地はなかったために、PTAなどが協力して
アパートの屋上に土を運び、花や野菜を育てていたそうですよ
今でいうところのエコに近い感じもしますけど。。。
これが日本初の屋上菜園だったと言われているそうです


こういった工夫をしながら、5,000人以上もの人たちがひしめきあって暮らしていたワケですが
何といっても島ですからねぇ~、常に高波の被害を受けていたらしく・・・
特に台風の時に襲い掛かる波の威力は、それは想像を絶するものだったそうですが。。。
さすが島民!!暮らしの中でそのうち台風にも慣れっことなり、屋外に出て台風見物を
することもあったとか・・・羨ましいやら、恐ろしいやら・・・
明日は表軍艦を見て回ります


関連記事