嘗て・・・

おてきち

2019年10月06日 07:19

10月3日の夕暮れ時、今年も長崎くんちに向 けて 庭見せ行事が無事に行われました
なんとか雨も昼過ぎくらいには止んでくれたので、踊町の方々も飾りつけの準備など
最終仕上げに大忙しの様子だったと思いますね・・・。


祭りといえば大津祭の時に、お手伝いをしていた頃の慌しかった時間を思い出します
献酒を用意したり、道案内のチェックをしたりと・・・裏方は本当に忙しいモノで
計画通りに事が運ぶなんてことはまず有り得ないし。。。

それこそ台本なしのハプニングはツキモノで、目の前で起こった事に対して
どのような対処方法が ベストなのかを、常に模索しながら表舞台に立つ人たちの
ジャマにならないように、また目立たないように、黒子に徹することこそが基本ですからね
おっと!!ちょっと熱くなっちまったぜぃ(笑)


今年の庭見せには、ちょっとそれなりに熱くなる理由があって・・・
というのは、通常は一般公開はされておらず見学はできない庭なので。。。
でも7年に一度、今日のこの日だけは、一般にも開放されるとあって、おてきちも楽しみに
していた庭見せの場所のひとつなんです
以前にブログで玄関の写真だけでしたけど、書いたことがある その場所は
かつて長崎随一の料亭だった 【迎陽亭】 跡の庭なんですよねぇ~


初めて敷居をまたぎ、園内というか、屋敷内に入ると・・・右側には小さな茶室がひとつあり
現在もこの茶室は使われているそうです
料亭があった頃からの建物なのかな・・・?

1804 (文化元) 年、江戸の料理人であった 杉山 藤五郎という人物が来崎し
出来大工町の川岸に、料亭 東語楼を開業
その後、上筑後町 (現在の玉園町) に移転し、迎陽亭と改称します。
                       参考資料~広助の 『丸山歴史散歩』 ~より拝借


そして料亭の名前の由来については、敷地から見える 彦山から昇る日の出が
望めたことから 「迎陽亭」 と名付けられたようです
また江戸時代は、この料亭の場所が立地的にも便利だったみたいで
長崎奉行所や諸藩の役人さんなどが、頻繁に利用されていたそうですよ


その当時は1000坪ほどあったのかな?とにかく広大な敷地だったようですが。。。
現在、残っているのは 杉山氏の私邸と料亭の庭園の約 1300 ㎡ と書いてあったから
約 400坪ないくらいってことでしょうか・・・随分と縮小されてしまったようですね


庭園にはその当時からあったのでしょうかねぇ・・・?
お稲荷さん&朱の鳥居に、立派な 「臥龍の梅」 がありましたよ
きっと今でもベテランの植木屋さんが来て、しっかりと手入れをされている感じでしたね


そして今回のお宝は・・・この写真の中にある 灯籠です(笑)
これはただの石灯籠じゃなかばい!!
地元のテレビで紹介されていたので、これは是非とも見ておかねば
と目的をこの灯籠に設定して、張り切ってやって来たワケですよ~


おっと!!お化粧直しをされてますやんか(笑)
テレビで見た時の姿は、丸く くり抜かれた窓がチャームポイントだったのですが。。。
さすがに今日は庭見せなので、和紙が貼られてのセクシー仕様になっているようですわ
それは置いといて・・・その灯籠 に刻まれていた名前が 【遠山 左右衛門】 なんちゃら???


ハランで隠れてよく見えなかったのですが。。。
こちらはどうも 第83代・長崎奉行であった「遠山 左右衛門尉景晋 (カゲクニ)」 という
あの遠山の金さんで有名な 「遠山 景元」 の父上が寄進かな?された灯籠のようですよ!!

調べてみると、1804 (文化元) 年 12月、ロシア船来航につき長崎に出張御用と Wikipedia に
書いてあったので・・・その後も長崎奉行や作事奉行、勘定奉行まで長崎で務められているので
まさにこの迎陽亭の V I P だったに違いないですな
歴史上の著名人の名前を見ると、リアルに感じられて満足感もマシマシですな


参考までに、3年前に書いたブログの記事です
おてきちも意外と?シブトイというか・・・執念ですよね(笑)
好奇心は若さの秘訣!!皆さんも人生の楽しみ (目標) を常に設定して
1日、1日を大切に・・・365日充実した時間を過ごして下さいね
https://minomushidou.shiga-saku.net/e1247326.html




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