眼鏡橋を渡り、歩くこと5分ほどの所に
【高城神社】はあるので御朱印を頂き
おまけに奥様の手作りだという、アマビエの栞も一緒に頂いて。。。
諫早の旅路は、アマビエ詣でのようになって来てますわ
観光マップを見ると、この近くに
【御書院・高城回廊】と記されている場所があって
以前に何度か、その場所が気になり探してみたら・・・
それらしき門扉は見つけたのですが、どうも地図によると庭園のある場所が
諫早高校の敷地内になっていて、その時は門扉が閉まっていたもんだから
庭園内に入れるのかどうかすらも、よく分からず仕舞いで諦めて帰りました
その次に行った時には、諫早高校前にあった古びた雰囲気の茶店の女将?のような人物に
訊ねたことがあって・・・その答えは、そういう場所はない。みたいな感じの返事で
いかにも意味不明だったのをハッキリと覚えています(笑)あれはいったい何だったんだろう。
そんなこんなで尚更、気になっていた場所なので・・・
今度こそ3度目の正直だぜと思い、以前、門扉が閉まっていた場所へ再度行ってみると
おぉおぉおぉ、やはりしつこさは欲するモノを与える魔法だ・・・と感心しながら
光差す扉の中へと吸い込まれるかのようにして、入って行ったワケですよ
門扉までの散策路には、木製のチップが敷き詰められていて。。。
そのチップの上に、上空から落っこちて来たドングリの音で一瞬、ビビッてしまうくらいに
これが意外と大きな音がするもんだから、人気がないのにいったい何がいるんや!?
と思うほどに、周囲は木々に囲まれ薄暗い上に静まり返ってるもんだから
そこへ急に鳴り響いたドングリ音に、思わず油断していた気持ちが引き締まりましたわ(笑)
高城回廊とは、諫早公園、高城公園、諫早図書館、御書院などを水と緑で結ぶ
一周が約1.3kmほどある散策路になっていて、どこから流れて来るのか
キレイな水が水路を流れていましたよ
安土桃山時代、それまで諫早を治めていた西郷氏に代わりに佐賀藩の重臣だった
戦国時代の武将・龍造寺家晴が諫早城に入城した際、現在の諫早高校が建っている
この場所に、広大な屋敷&御書院庭園を築いたみたいですね
「
御書院」とは本来、庭園内に建てられた屋敷のうちのひとつの建物を指すそうですが
もともと佐賀藩主の接待などの公式行事に使われていたようです
諫早家の屋敷の中で唯一残っていた御書院も、諫早大水害後の昭和41年に
取り壊されてしまったらしく、現在は庭園のみが残っているみたいですね
そうか・・・それであの女将さんは、そういう場所はない。と言われたのカモ
この場へ来て納得です(笑)
特別に見るモノはなくとも、その跡地であったとされる同じ土を踏むことに
喜びは生まれるんだと・・・久方ぶりに目にする桃山様式の廻遊式庭園を眺めながら
見つけられたという満足感で心は満たされたのですが。。。
そろそろお腹も減って来たみたいだし、それとちょっと足が疲れてきたカモ