4番町、江戸町の
【オランダ船】 です
傘鉾に、その町の歴史を教えられ。。。
おやおや?庭見せで見た時には確か・・・朱塗杯にタコノマクラが金文字で描かれてましたけど
よく見ると、あれはオランダ東インド会社の社章の、頭文字 V O C を描いた 染付皿では!?
解説によると、出島から出土した遺物を復元されたモノが飾られているそうですよ
出島と深い関わりのあった江戸町とが、表裏一体となって傘鉾で表現されているワケですね・・・。
これは格調高い、おてきちにとっては最高の傘鉾ですわ
そして江戸町の傘鉾の輪には、貿易品であった黒いビロードが用いられていて。。。
朱塗杯側には和文字で 江戸町と刺繍されていて、染付皿側にはオランダ語で
「
J E
DO
M A C H I」 と刺繍がされていましたよ
当時 (1789~1801) 在職だった オランダ商館長が、この頭文字 J、D、M を
組み合わせ デザインをされて、江戸町に贈ったモノが タコノマクラのルーツなんです
そのデザインがタコに似ていることから、住民たちが親しみを込めて
【タコノマクラ】 と
呼ぶようになったんだとか。。。
あと垂 (タレ) は今年、新調されたそうで、その裏地にご注目!!
一瞬だったので上手く撮れなかったけど、裏地にはオランダ国旗のカラーでタコノマクラが
あしらわれてましたよ
タコノマクラが並んでいると、何だかインベーダーゲームを思い出しますわ(笑)
おてきちが座っていたのは、長坂の真ん中辺りだったのですが。。。
結構、傾斜があるにも関わらず、前列の人の手拭い姿が写り込んでしまいますね(笑)
江戸町は、1934 (寛永11) 年、出島築造開始にともなって、その門前町として発展していった
町でもあり、ちょうどその頃に くんちが始まった年でもあるんですね
また眼鏡橋が架橋された年でもあるそうですが・・・江戸町の町名の由来としては、日本の都
江戸のように繁栄することを願って。。。という説や、あるいは長崎奉行所 (西役所) が近くに
あった為、江戸から多くの役人が移り住んでいたから。。。とも言われているそうですよ
もう2年になるのかなぁ、江戸町に県庁があったのですが。。。駅前の方に移転してしまって
ちょっと賑わいが薄れたようですが・・・県庁跡からは間違いなく、その昔に建っていた
教会跡からの出土品が、かなり期待されているようなので。。。
今のところは瓦などが出土しているみたいですけどね
きっと全国、いや、世界を揺るがすような遺骨?が出て来てくれるのを期待して・・・
明日はいよいよ今年、とりを飾ってくれる 5 番町の奉納をお楽しみに!!