毎年、どうしてこれだけ祭りについて書くのか・・・自身でもよく分からないのですが
それなのに、祭り好きではない!!といった所で、誰も信じてはくれない・・・でしょうね(笑)
おてきちのモットーは、本能には逆らわないで生きて行こう!!なので。。。
きっと自身の中で何かが、どうしても祭りについて書かせたいのであろう
そう思うと、何となく?納得ができるので。。。
今日も踏ん張って?3番町、玉園町の
【獅子踊】 について、まとめて行きたいと思いまする
おっと!!いきなり古銭が目に飛び込んで来ましたよ~ん
これは傘鉾の柄の部分の1番下に縛り付けて、100キロ以上ある傘鉾の重さ調整というか
傘鉾のバランスを保つために、使われているオモリの役目なんですね
もちろん本物の江戸時代の一文銭が使用されていて、確か1本に300枚だったかな?が
束にされているそうですよ!!
それを傘鉾の重量によって縛り付ける本数は違うけど、大体10~12本は縛り付けるみたいですね。
玉園町は、江戸時代は長崎奉行所のお膝元に位置する町でもあったので。。。
先日の庭見せで紹介した迎陽亭跡だったり、龍馬も通っていたという 黄檗宗の聖福寺など
江戸時代からの名残りある建造物が、わずかですが残っている町なんですね・・・。
もとは筑後の人たちが開いた町だったようです
そして傘鉾に飾られている、垂 (タレ) と呼ばれる幕ですが。。。
玉園町は2枚、持っておられるそうで、前日には 「
旭に雲の曙」 を後日には 「
秋の七草」 を
使い分けてお披露目をされるそうです
そういえば解説で、長崎は 「
おくんち」 を境にして衣替えをするんですよ
踊町でお披露目をされる、将来くんちを担っていくであろう 小さなお子さんたちを引き連れた
お母様方の衣装は、以前は前日は裏地がない 「
単衣 (ひとえ)」 の着物で、後日には裏地の
ついた 「
袷 (あわせ)」 といった具合に、粋な演出も見どころのひとつだったそうです
このように、地元の人たちは知っている くんち 「
ある、
ある」 を、時折、耳にする ワケですわ
そして庭見せでは、各踊町には立派な鯛や伊勢海老、アワビもあったなぁ~!!
他にも柿、ザクロ、桃饅頭などが飾られていて、最初はその豪華さにビックリしましたが
今では、どこの町内の鯛の方が立派やったわ!!とか、あそこの町内はサメ?みたいな
長い魚もあったでぇ~!!など、ちょっと専門的?ではないけど・・・
見比べられる余裕が出て来たのは良かったのですが、まだまだ長崎弁は上達することはなく
いつまでたっても、関西弁の灰汁は強いようですな
おてきちの中では、今年1番見応えのあった演し物だったと思うのが、この獅子踊です!!
最初から1番楽しみにしていた演し物だったのですが・・・期待以上の奉納に感激しましたよ
言葉は通じなくとも感動を与えることが出来るのが、おてきちは世界共通にいえる 祭りだと
思っているので・・・この獅子踊を見ていて、本当に心が動かされましたね
この獅子踊をされているのは、玉園町の方々ではなく、長与町の吉無田郷 (よしむたごう) に
200年前から伝わる伝統芸能の 「
暴れ獅子」 で、1983年から玉園町が吉無田郷の保存会に
依頼をされて、奉納されているそうです
オスとメスの夫婦獅子で、ヒタイの 「
王」 が金文字なのがオスで、銀文字はメスなんですって(笑)
ちなみに歯まで、しっかりと色分けしてあったのには苦笑いですわ
そして獅子の毛ですが・・・これは6色の麻糸を組み合わせて、皆さんで縫い付けたそうですよ!!
他で見る獅子って、あまり可愛い印象はなかったけど。。。
玉園町が奉納された獅子は、おてきちの中ではどうしてもロクと重なって見えて・・・
とっても幸せな 奉納踊りの時間でしたね
というのも、獅子の表情もそうですが、さすが鍛錬を重ねて来られた成果なんでしょうねぇ~。
獅子が毛繕いをしたり、耳や足を掻いたり、ゴロンと寝っ転がる仕草の全てがロクと重なって
単調な動きではなく、コミカルな所作やユニークな動きも交えながらのアクロバティックさも
見応えがあって・・・とにかく2人1組で獅子をされていたのですが、2人の息が合わない事には
このような演技は絶対に出来ませんからね!!
10月20日だったかな?長与町の方で、この獅子たちの踊りが見られる地元の祭りが
あるそうですから・・・こんなに素晴らしい踊りを見せて貰ったら、追っかけになりそうです(笑)
一言でこの感動を語るのは難しいことですが。。。
あえて言うならば、そうですねぇ・・・うん!!諏訪の舞台に獅子は生きていましたよ
これに尽きます。
玉園町さんに、ヨイヤァ~