島原大変肥後迷惑

おてきち

2015年05月24日 14:11

1990 (平成2) 年から始まった 198年ぶりの噴火活動によって誕生した 日本一新しい山
とされる 【平成新山】 (標高1483m) を一番間近で見る事ができる普賢岳 (標高1359m) は
言わば 平成新山 (溶岩ドーム) の生みの親でもある訳なんですよね・・・。


看板にあった上の写真が 平成10年の3月に撮られたモノで。。。
下の写真は、実はこの 3月末に行った時に撮ったので 季節感が違って見えるんですよ
一応、看板と同じ風景に撮ったツモリですが、24年が経っても緑は この程度なんですね・・・。


1990年~1995年まで続いた噴火活動
火口からは白い噴煙や水蒸気を上げて、噴火が始まり 当初は火山灰も少なく溶岩ドームも
形成されていなかったみたいですが、屏風岩火口というのが出来てから、火山活動も活発化し
3つの火口からは大量の降灰が、深江地区や島原方面へともたらされるようになったそうです


24年前の記憶を思い起こすと、聞き慣れない言葉が多かったのだけは覚えていますね。
土石流や火砕流、それに溶岩ドーム。。。
過去に起きた噴火で言われた 「島原大変肥後迷惑!!」 の意味が、ここに来て見て位置関係も
何となく解り、確かにそうだったのカモなぁ~、と分かるような気がします


そして6月3日には成長した 溶岩ドームの地滑り的崩壊によって、最大規模の火砕流が発生!!
報道関係者、消防団員、警察官ら44名の犠牲者を出す大惨事となった訳です
火砕流のスゴサは分かりませんが、周囲に住まれていた人の話によると
夜になると 真っ赤に流れ落ちる火砕流の様子が、ものすごくキレイだったそうですね・・・。


その後、溶岩ドームは第13ドームまで出現したらしく、1995 (平成7) 年には噴火活動も停止し
翌年の5月30日には 「噴火は終息しました」 という発表で、長期にわたって大きな被害を与えた
噴火活動も静かに眠りについた訳ですよ


これが地獄跡火口で成長を始めた 最初の溶岩ドームの看板にあった写真です
この主が パッカァ~ン!!と割れて、水無川に沿って海岸まで達した訳ですね・・・。
その後、溶岩ドームは成長と崩壊を繰り返し、火砕流が頻発するようになったんだそうですよ。


今、桜島がそれこそ大変なことになっていますけど。。。
その問題の火山灰を100%釉に使って作られた、油滴天目の焼物、雲仙焼があるんですってねぇ
地元の赤土や、唐津の土を使って焼締物を焼いておられるみたいなのですが。。。
特徴としては、丹波や伊賀ふうのモノのようですね
実物は見ていないので、機会があれば是非、火山灰100%の焼締モノを見てみたいと思っています!!


そして平成新山から流れ出した火砕流の行方を追って、向かった先はこの水無川流域!!
水は無くとも、お宝は埋もれているハズ!!
そうです水無川流域の砂防工事に伴って、発掘調査が実施され数万点の遺物が
ゴロゴロと出土していたみたいなんですよぉ


不謹慎なことをいって白目?をむかれても、それこそ おてきち大変!?なので。。。
ここは複雑な心境やわ~!!的な雰囲気を醸し出しつつ、ホント人生は前途多難ですよね
そんな事を言い放つ自分が、時々よく分からなくなったりも致しますが。。。
手元に コンパスは無くとも、進むべき道は匂いで判断出来るので大丈夫


いざいざ!!有明海方面を目指してGO
ロクぅ~ 今こそ君のその前足が必要になる場面なのに・・・。
遠くに居ること自体が悔やまれまする・・・。
お互い離れていてもテレパシーがある限り、何の不安もありゃしないってもんですぜぃ~


関連記事